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NYからパリへ ゴウ・ホトダさんインタビュー(下)

20130529.jpg-1999年、パリに拠点を移された。どういう心境だったのですか?
「ニューヨークでは、ハウスミュージックに関わった後、チャカ・カーンなどR&Bの方々とも仕事をするようになった。コンテンポラリーなジャズもやった。そろそろ新しいものを見たくなったんです」

(写真)ホトダさんのスタジオに置かれた70年代製の「ニーブ」のミキサー。アナログ機器を大切に扱う

-ロンドンでもベルリンでもなく、パリだった理由は? 
「かつてピカソを初め、芸術家はみんなパリで成功することを目標にしていましたよね。似たところがあります。パリで認められたいな、と素直に思ったんです」

-仕事場はどうやって確保したんでしょうか?
「ニューヨークでは、仕事を頼まれたら『好きなスタジオを使ってください』という状態。快適ではありました。パリではそうはいかない。最初は履歴書を持って、レコード会社に通いました。ある会社では『何しにきたんだ。ここではアメリカほどレコードが売れないよ』と言われました(笑)」

-パリはワールドミュージックの発信地です。そのことも意識されましたか?
「ありましたね。ロンドンはアジア、中東の音楽とつながりが少ないけれど、パリにはあるんですよ。中東、トルコ、アフガニスタン。あのあたりはアジアなんですよね。アルジェリアのフォーデルという歌手をプロデュースしたときは、モロッコやエジプト、ベイルートでレコーディングしました。アラブ音楽の楽器を調べると、いろいろな点で日本との共通点が見えてきました」

-仕事の仕方は変わりましたか?
「フォーデルの作品をミックスしにベイルートに行った時、歌詞の意味を聞いたんです。そうしたら男の人に対して女の人が『全部あなたのせいよ』という内容だというんです。これは日本も世界もまったく同じですよね。言葉がわからなくても、こういう内容の歌詞をどう聞かせればいいかはわかる。ポップスというのは世界共通のテーマを扱っているんです。日本の演歌や歌謡曲もそこに連なるのではないでしょうか」

-パリでの目標は?
「西洋からアジアをぐるっと眺めるような仕事をしたかった。中央アジアのアーティストもプロデュースしたかった。けれども2001年のテロ以降、アラブ音楽はテロリストの行進曲のような受け止められ方をするようになってしまった。その点は残念でした」

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