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美尾洋乃さんインタビュー(下)

20130821.jpg 8月19日付「音楽の現場」面に登場した美尾洋乃さんの音楽遍歴。第2弾です。

 -高校入学を機に上京。バンド活動も目的でしたか?
 「親には『バイオリンを勉強するんだったら東京に出てもいい』と言われていましたが、私の心の中では高校でバンドをやることも決めていました。中学時代はやりたくてもできませんでしたから。『東京に出るために』と思って、バイオリンの練習をがんばりました」

 -最初のバンドは? 
 「ベルベット・アンダーグラウンドのカバー。バイオリンとキーボード担当の『ジョン・ケイル役』でした」

 -ロックバンドにバイオリンは珍しいですよね?
 「加入の依頼があるのは主にキーボードでした。ディープ・パープルやってとか。バイオリンはそんなにニーズがありませんでした。当時はマイクもピックアップも性能が低かったので、ロックのバンドの中で弾くとほとんど聞こえなかったんです」

 -ムーンライダーズとの出合いは?
 「アマチュアバンドをいくつも掛け持ちしているうちに、山本浩美さんという方と知り合うんです。この方との出会いがまた偶然で。女性だけでバンドを組みたくて雑誌『プレイヤー』のメンバー募集を見ていたら、『オリジナルムーンライダーズやりたし』というのを見つけたんです。山本浩美という名前から女だと想像して電話を掛けたら男の人。すぐ切ろうとしたら『まあまて』と。話を聞いたらデモテープを作る予定がある、ということでした。『自分はオリジナルのムーンライダーズのメンバーだ。同級生の(鈴木)慶一に聞かせたいんだ』と言うんです。それじゃあ、デモテープ完成までやろうと思って」

 -それが「トリックスター」なんですね。
 「そうです。5人編成でデモテープを完成させて。そうしたら『ライブもやりたい』と。いつの間にかムーンライダーズの鈴木博文さんが、メンバーの白井良明さん、かしぶち哲郎さんと組んでいたユニットの対バンで出ることになりました。博文さんとの出会いはその時。その後、ユニット『ミオフー』を結成することになるんです」

 1980年代東京の先端的な音楽シーンの中心にいた美尾さんのお話は、非常に刺激的でした。今後も活動に注目していこうと思います。(橋)

 ▼紙面で取り上げた「音楽体操」についての問い合わせは「うさぎや音楽事務所」(on-gaku-u-sa-gi@nexyzbb.ne.jp)へ。

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