徳川慶喜展で見つけた〝謎〟
12月6日、静岡市美術館で開催されている「没後100年 徳川慶喜」展に行ってきました。
江戸幕府最後の将軍としての顔、書や油彩画に親しんだ明治以後の顔を対比させる展示内容。かつて同美術館で開かれた「家康と慶喜―徳川家と静岡」展でも感じたことですが、慶喜さんは特に書が素晴らしいですね。伸びやかで、一つ一つの文字に精気が宿っていて。旗本だった本多家に下賜したと伝えられる「静観」の美しさに圧倒されました。
「家康と慶喜」展と同様、慶喜さんが撮影した写真の数々も見どころ。「大里踏切ヨリ安倍川橋ヲ望ム」や「久能御山全図」など、静岡市民が見慣れた風景が次々出てきます。
一つ、気になったことが。弓にも秀でていた慶喜さんの「弓懸」です。矢を弓につがえる際に支える手袋ですが、どう見ても左手に着用するデザインです。親指部分のつき方と、徳川家の御紋の位置がそう考えた根拠です。右構えで矢を放っている写真もありますが、本当は左利きだったのではないでしょうか。
展示の中には礼装の慶喜さんが左手で扇子を持っている写真があります。彼の息子が投網をしている写真もあるのですが、左手で投げています。都合良く解釈すると「遺伝」では…。
これは妄想に近い想像です。どなたか真実をご存知の方はいらっしゃらないでしょうか。(橋)
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