SPAC「忠臣蔵」を巡る対話(下)
12月14日に開幕した県舞台芸術センター(SPAC)の「忠臣蔵」。同日に行われた宮城聰さん、山崎ナオコーラさんのアーティストトークの抄録第3弾です。(橋)
宮城:日本の芝居って、たいていはシチュエーションが与えられちゃうんですよ。近松で言えば、奉公人がご主人の奥さんと恋に落ちてしまったとか。あるシチュエーションに置かれてしまった人間の苦悩、つらい状況を描く。選択肢、人生の選択肢がないんですよ。ところが「忠臣蔵」は「選べる」。これが別格に今日性がある理由だと思います。誰かの意見ということではなく「そういう死に方もあるよね」とほのめかされていく。それが実に巧み。
山崎:今の私たちに通じる感覚がありますね。死ぬ、生きるという話ではありませんが、議論の仕方というのはそうかもしれない。意見を言って組み立てていくというより、空気を作っている誰かにひきずられる。実際にそうやっている。
宮城:「例えばこういう死に方もあるよね」というイメージには、抵抗するのが難しい。自分は「ふわーっ」としているから。「そうじゃないんだよ」とならない。「なるほどなー」という感じがあったりする。自分が何なのかがつかめないときに、「敵はこれ」というのが提示されると、小気味よさのような、わかりやすさがある。
司会:山崎さんは小説を書くときに、プロットをがちっと作ってから書くのか、結末見えないまま書くのか、どっちですか?
山崎:私はストーリーが弱いとよく言われるんです。若い人に言いたいことは全くないです。人生という概念が好きではない。人生が前に出てくるものは書きたくないですね。
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