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下村観山の〝タレント性〟

 2月1日に駿府博物館で行われた講演会「資料から読み解く下村観山」。神奈川県立歴史博物館の角田拓朗学芸員が、軽妙な語り口で観山の魅力を解説しました。(橋)

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 同館で開催中の「KANZAN 第3の男・下村観山」の関連イベント。角田さんは展覧会の企画協力にも名を連ねています。

 観山を読み解くポイントは3つあるそうです。

 1つは絵師としての基礎を「狩野派」に学んだこと。近代の教育ではなく、江戸期の技術を身に付けたことが、その後のキャリアに大きな影響を与えます。2つ目は岡倉天心から厚い信頼を得たこと。3つ目は日本美術院を再興したこと。いずれも観山の画力、技術の高さを裏付けるエピソードです。

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 講演中、当時の美術専門誌「美術新報」の誌面コピーが参考資料として配られました。日本美術院が常陸五浦に移る際の観山の立ち位置を、ゴシップ記事のようなタッチで記述しています。
 角田学芸員は「当時の画家は、今のタレントのような存在だった」と言います。明治後期は美術専門誌が10誌ほどあったとのこと。美術展に行くことは、現在のような「教養」ではなく、「娯楽」としてのニュアンスが強かったようです。
 確かに「タレント性」では、寡黙だったと伝えられる観山より大観の方が上だったような気がします。このあたりが「第3の男」となったゆえんかもしれません。

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