空襲で落とされた爆弾の違い
3月14日夕刊「とんがりエンタ」取材のため、静岡市葵区の静岡平和資料センターを訪ねました。 (橋)
5月25日まで「空襲を伝えるドイツの都市」展を開催しています。
この施設を初めて訪れましたが、常設展示にも目を奪われました。
1945年6月20日の静岡大空襲、同年7月7日の清水大空襲がテーマ。被災地を示した地図、焼夷弾などの残骸、空襲後の市内の写真などが展示されています。
土居初江事務局長によれば、木造の人家が多い静岡と、工場が多い清水では使われた爆弾にも違いがあったそうです。
静岡には午前0時41分に123機が襲来し、写真左に写っているM47焼夷弾336トンとM69焼夷弾453トンが投下されました。消失率は当時の静岡市総面積の66%に及んだそうです。
清水には、コンクリート壁を打ち破るための「エレクトロン焼夷弾」が落とされました。短時間に高温を生み出すのが特徴で、焼夷弾と照明弾を兼ねたような爆弾。1発1・7キロのM50テルミット・マグネシウム焼夷弾(左)を110本束ねて投下したそうです。
土居さんは空襲の具体的なイメージを持つことの大切さを力説していました。
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