「21世紀建築」長谷川逸子さんとの会話(上)
隔週連載「21世紀建築」。3月17日付は静岡市葵区の静岡大成高を取り上げました。国内外で活躍する長谷川逸子さん(焼津市出身)の設計です。
取材の折、ご自身が建築家になったいきさつもお聞きしました。2回に分けてお届けします。(橋)
-どんな高校生だったんですか?
「体が弱かったけれど、運動は好きでしたね。テニスが得意でした。それ以外にもいろいろなことをやっていました。卒業直前には、みんなを巻き込んで劇を作ったり。油絵も描いていました。仲間と静岡市内のギャラリーで展覧会を開いたこともあります」
-大学で建築を学ぼうと思ったのはなぜですか?
「もともとは画家になりたかったんです。母親が水彩をやっていたし、自分でも絵を描くのが好きだったから。でも、反対されましたね。『絵描きになるぐらいならお母さんのアトリエで書いていればいいだろう』と言われて。それで、思いついたんです。社会的な仕事として絵を描けるのは建築だと」
-先生にはずいぶん反対されたようですね?
「全員反対でした。女性が建築科に行くなんて前例がなかったので。受験勉強はしていたのですが、毎日廊下で説教でしたよ(笑)」
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