藤枝市在住のラッパーINNTANA(下)
藤枝市在住のヒップホップアーティストINNTANA(インタナ)のインタビュー抄録、後編です。(橋)
▼リリックについてうかがいます。アメリカでの生活も長かったINNTANAさんですが、今作はほぼ全て日本語。どんな意図があるんでしょうか。
「アメリカにいた1997年ごろ、日本語ラップを現地の友人たちに聞かせたんです。トラックはカッコいいけれど、何を言っているかわからないから興味が持てないと言われました。この人たちは言葉を聞いているんだな、とあらためて思いました。だから日本で活動する以上、日本語で作ることに決めたんです」
▼文章としても読めるのが特徴ですね。
「ラップは倒置法が多いんですが、僕はなるべく使わない。韻を踏むにしても、文法がめちゃくちゃで良いんだったらなんだってできちゃうじゃないですか。しゃべり言葉で読んでも普通の文章として読めて、それでいてがちっと韻も踏んでいてリズムもすごい。そこを目指しています」
▼「生への肯定」や「人生を謳歌することの大切さ」がメッセージの主体でしょうか。
「そうですね。僕はかつて外国に住んでいたのもそうですが、人と違う経験をさせてもらっていると思うんです。スペイン語がしゃべれるようになったのは、アルバイトで工場に行って、気になった女の子がウルグアイ人だったのがきっかけ。別の工場で働いていた時は、中国人の友達が毎日車で送ってくれた。いろいろな国の人と付き合ってみてわかったのは、人間って結局『うれしい』『楽しい』『悲しい』といった感情は同じということ。人種、年代は違っても、そういう部分では差がないんです。ラップを通してそれを伝えたいですね」
▼一緒に活動しているクルー「ザイオン・ソルジャー」への愛着と感謝を、作品の中でもたびたび口にしていますね。
「尖閣との出会いがきっかけで、2003年ぐらいから一緒に活動しています。所属しているのは、ラッパーなど10人弱。最近はリリースラッシュだから頻繁に会ってますが、これまではそうでもなかった。でも数カ月会っていなくても、昨日も一緒にいたような感じで話ができる。兄弟みたいな存在です」
▼代表曲「夜桜」はどういうプロセスで作られたんですか?
「最初は全く違う和風なメロディーをピアノで弾いたんです。ここで夜桜というイメージが出てきた。そこに歌詞を乗せて。メロディーはその後に変わりました。僕、幼稚園から小学校低学年ぐらいまで、球技が不得意だったので、どこか周囲から浮いた存在だったんです。その時のストーリーを書こうと思いました」
▼「鋼のブルース」は?
「7年前の曲。僕たちに良くしてくれた1歳上のラッパーが、沼津のクラブで急死したんです。その時『生きる時間って限られているんだ』と思いました。『夢やかなえたいことは鋼の意志でやり通そう』と。それで、生きている人への応援歌みたいな気持ちでこの曲を書きました。トラックはどんどん変わって、これが5バージョン目です」
▼アルバム全体を通してヒップホップ、ラップへの全面的な信頼と愛情がうかがえますね。
「ヒップホップというのは地球最後の希望だと思います。僕は暴力を使わない革命をやりたい。それはつまり、人の意識を変えるということです。いろいろな思いにとらわれず、圧力にも締め付けられない、人種や性別の隔たりがない楽しい世界を作りたい」
▼裏を返せば、現状はそうなっていないという認識ですか?
「そうですね。昔、旅行でグアテマラに行ったんですが、貧富の差を目の当たりにしました。友達と車に乗って交差点で信号待ちをしていると、小さい子どもが駆け寄ってくる。はだしでお姉ちゃんと弟、口にガソリンを含んで火を噴くんですよ。赤信号で止まった車には、その芸に対してお金をもらいにくる。そういう子どもたちが現実にいるんです。一方で、同じ国には庭付きの大きい家に住んでいる人もいる。こういう格差は本当に変えていかないと。ヒップホップはその力がある。何と言ってもメッセージの音楽ですから」
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