「アクト・オブ・キリング」の衝撃
5月27日夕刊「シネマ」面では、昨年度のアカデミー賞「長編ドキュメンタリー部門」にノミネートされた「アクト・オブ・キリング」を紹介しました。筆者は5月上旬、東京都渋谷区のイメージフォーラムでこの作品を観たのですが、各回満員で立ち見も出るほど盛況でした。
静岡県内では5月31日に静岡シネ・ギャラリー(静岡市葵区)で公開、7月12日からシネマイーラ(浜松市中区)でも上映されます。(橋)
記事でも触れましたが、この映画はそもそも成り立ちが特異です。
50年前にインドネシアで実行された虐殺の当事者たちが、いかにも好々爺の顔でかつての自分の非道を振り返るのです。
カメラは、途中までなんらかの意図があるようなないような、フラットな立場で彼らの「映画製作」を捉えます。彼らをどこに着地させようとしているのか。映画の終盤までは、製作者の「意図」がひたすら覆い隠されているような気がします。
そうした視点に慣らされたところで、衝撃的な結末。ドキュメンタリーにしかありえない、ある種のカタルシスを感じました。
1987年の原一男監督「ゆきゆきて神軍」との共通性を指摘する論評もありますね。確かに背景となった事実の残虐さは似ていなくもない。ただ、被写体と監督が現実にぶつかり合う瞬間も生々しく表現した「ゆきゆきて-」に比べて、「アクト-」はどこかのほほんとした空気があるのです。そこが怖いところでもあるのですが。
エンドロールに驚愕しました。「anonymous」「anonymous」「anonymous」…。スタッフの多くを「匿名」とクレジットせざるを得なかった配慮に、この映画の「ヤバさ」がよく現れていると思います。
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