静岡市清水区、「湯沢のそば」エピソード
夕刊「旅食」面の連載「味わう文化財~しずおかの在来作物」。12月18日は、静岡市清水区湯沢地区のソバを取り上げた第8シリーズの最終回でした。同地区で一番の古老、大石初枝さんの話は、とても興味深いものでした。(橋)
大正14年生まれの初枝さんは、同地区で生まれ、同地区で育った方。ご主人は外の地区から迎え(現在は死去)、今も生家に住んでいます。清水区内などにひ孫が10人以上いるそうです。
「ここに住んでいると、このソバが特徴があるものとは気付かない。(静岡在来そばブランド化推進協議会代表の)田形さんがいらっしゃって、こんこんとお話くださって『そうなのか』と」
新聞記事にもいくつかのエピソードを書きましたが、この地区では冠婚葬祭の振る舞いには必ずそばを出しています。
「物心ついた時からずっと身近にソバがある。子供の頃は、おばあちゃん(自身のお母さんのこと)がこしらえてくれた。上手だったよ」
そばは日常食でもあり、月に1度は家庭で打っていたそうです。
かつての焼き畑の話もしてもらいました。使う場所は、杉を伐採した後の半町歩(約5000平方㍍)ほどの山林。地面に杉の枝を広げ、周囲には燃えやすいものがない間衝地帯を作ります。他の山林に燃え広がらないための工夫です。
斜面の下から火をつけて、全体が燃え終わったら、ソバの種をまきます。焼き畑は灰の肥料がたっぷりで、害虫も付きにくかったそうです。
「昔は山林が良かった(木材が高く売れた)からね。何軒かでよくやっただよ。いいそばができて、それはおいしいっけ」
こうしたやり方は、昭和40年代中期まで続きました。木材の値下がりと歩調を合わせていつしか消えていったそうです。
「今は、特にそばを食べたいとは思わないね」と初枝さん。言葉とは裏腹に、小さい畑で毎年ソバを育て、特製の缶に入れて種を保存することを続けています。
「だって、絶やしちゃならんもん」。使命感が言葉ににじみました。
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