小林清親と静岡
2月7日、静岡市美術館で「没後100年 小林清親展」が始まりました。旧幕臣出身の版画家、小林清親は画業を始める前に静岡県に滞在していました。今回の展覧会は、彼の静岡とのつながりも理解できる内容です。(橋)
1868年7月、21歳の小林は江戸開城後に将軍家に従って静岡にやってきます。当時の居留地は清水三保村の御穂神社の神主宅。ところが12月にこの神主が暗殺されてしまい、自身も三保を離れざるを得なくなったようです。
翌年、現在の静岡市内の茶町1丁目に移りました。今回の展覧会に出品されている「御入国御人数町宿帳」(1869年)には、幼名である「小林勝之助」の名前が記されています。その後、鷲津村(現湖西市)などを経て、1874年に上京。静岡県内には都合6年ほど居留していた計算になります。
静岡の風景を描いた版画作品もいくつか出品されています。「薩た之冨士」は1881年の作品ですが、現在の風景を容易に思い起こさせる描写にびっくりさせられます。県民の多くが「ああ、あそこか」と思える場所です。
1880年の「静岡竜宝山の景」も見どころ。竜宝山は竜爪山の誤りだとされています。前後に置かれた富士山と竜爪山が、相似形を描いているように見えます。
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