一緒にNIE

「一緒にNIE」は静岡新聞の「教育」欄で2011年4月にスタートし、2015年4月から「月刊 一緒にNIE」で連載しています。 日本新聞協会認定の県内のNIEアドバイザーたちが教諭や保護者に NIEをやさしく解説し、授業活用のヒントを示しています。NIEへの理解を広げるため、ご活用ください。

「心温まる記事」契機に

2012年08月26日(日)付 朝刊


 今年度は、日本新聞協会主催の「HAPPY NEWS」に取り組もうと考えている。これは、新聞を読んで心が温まったり、勇気づけられた記事を切り抜き、その理由を書いてまとめるものだ。この取り組みをすることで、新聞を目的をもって意識的に読む習慣が身に付くことを期待している。何気なく新聞を読むだけでは、大切な情報に気づくことはできない。問題意識を持って読むということの重要性を認識する契機としたい。また、普段から新聞を読む習慣のない者にとっては、読むということのきっかけづくりともなる。内容も難しい社会問題ではないので取り組みやすい。
 取り組みの最初には、昨年度の入選作品を掲載した「HAPPY新聞」をひとりひとりに配布し、読ませることをした。どのような記事を選び、どのように理由をまとめればよいかイメージをしやすくするためである。いろいろな記事が掲載されているので、生徒は興味のある見出しから選び、熱心に読んでいた。
 昨年度のHAPPY NEWSは、震災関連の記事が多かったが、今年度はもう少し幅の広い内容になるのではないかと考えている。どの生徒がどの記事を選んでくるかが、非常に楽しみである。ひとことでHAPPYといっても、その感覚は多様である。どのような出来事に対して心が温まり、勇気づけられるかも個人によって大きく違ってくる。選んできた記事と理由を読み合うことで、他者との違いを認識する好機ともなるであろう。
 戦後、日本の国語教育の向上に寄与した大村はま氏は、新聞の記事をひとりひとりの生徒の教材に活用した授業を行い、生徒に言葉の力をつけていたという。新聞は、学校教育の中に現実社会を呼び寄せてくれる。そして、何よりもそれを扱う教師自身に広い視野をもたらしてくれる。

 (高島美玲/島田高)

県内アドバイザー講座
「守破離」作文指導に効果

2012年08月19日(日)付 朝刊


 文章を書け、と言われると石のごとく固まって、全く身動きの取れなくなる生徒が存在する。彼らは、何をどう書いてよいのか皆目見当がつかない、と口々に訴え、課題を出した筆者をあたかも敵でも見るような目で睨[にら]む。しかしここは心を鬼にして、とにかく文を綴[つづ]る訓練をさせねばならぬ。
 作文が不得意だという生徒の文章を実際に分析すると、主語・述語・目的語・補語の順番や位置づけの助詞、それに接続詞の使い方が理解できていないことが判明した。また、語彙[ごい]の乏しさから書き言葉そのものの絶対量が不足している。書くことに抵抗感のある生徒に対して、どのような新聞利用の方法があるのだろうか。
 それには「守破離[しゅはり]作文指導法」が最も効果的だ。守破離とは、芸能や武道の精進に当てはまる概念である。まず「守」。これは手本をそっくりそのままなぞるように真似[まね]て、基礎を身に付けること。次の「破」の段階で、基本にのっとりつつも少しずつ自己流に工夫(アレンジ)してみる。さらに鍛錬を積むと、見本の型から離れて完全な自分独自のスタイルを確立する「離」のレベルに至る。
 では、原稿用紙を前に凍っている生徒には、右の図のようなモデルを与えてみよう。これは新聞記事の一部分を修正液で塗りつぶしてしまい、その空白箇所に生徒自身の体験・感想・思考内容を当てはめていくという導入である。
 つまり、文章の構成や接続語、語尾表現は全て新聞記事のものをそっくりそのまま利用させてもらうわけだ。彼らは空欄部分に該当事項を当てはめていくだけなので、苦手意識の生じる余地が無く、しかも文章的には完成されたものが書き上げられるので、達成感と満足感が得られる。参考として塗りつぶす前の記事も並べて印刷しておくと、より分かりやすい。慣れてきたら積極的に字数や表現を改変しながら書かせる「破」にランクアップし、社説や解説記事に挑戦させよう。最終的な「離」では、最も大学入試で出題されることの多い800字の小論文を書けることを目標にしたい。守破離の段階を念頭に置きつつ、焦ることなく、生徒の成功体験を積み重ね、大いに褒めることが肝要だ。
 見本となる記事を選ぶポイントは、語尾表現に工夫の凝らされているもの(全て「~た」・「~だった」で終わっている記事は避ける)・かぎかっこによる会話文・心内文が挿入してあるもの・接続詞が多用され、内容が豊かなものを選ぶと良いだろう。

(実石克巳/静岡市立高)

20120819.JPG
 (「アドバイザー講座」は隔週掲載します)

記事の感想英語で発信

2012年08月12日(日)付 朝刊


 2年前に前任校の常葉学園高等学校で行ったNIE活動について振り返ってみたい。
 グローバルスタディーズコースの生徒を対象に、「外国事情」という英語の授業で、新聞を活用した授業を展開した。このコースは、グローバルな視点で物事をとらえ、自分の意見をもち英語でも発信できることが目標で、以前はディベートに挑戦したこともあった。しかし「ことばのゲーム」より、もっと身近な話題に対して意見をもち、論理的に伝える力を育むことが大切であることに気づき、題材が豊富な新聞を利用することにした。
 最初はクラスの半分程度の生徒しか新聞を読んでおらず、テレビ欄しか興味がない状況だった。とりあえず10分間の朝読書で、新聞を読むことから始めた。しばらくすると、新聞のおもしろさに目覚め、奪い合うように読むようになった。インクで手が汚れても気にする気配もなく、一面から新聞に見入る姿があちらこちらで見られた。慣れてきたところで、興味関心のあるテーマを追いかける課題を出した。生徒たちの関心は幅広く、自ら記事を探すことに面白さを感じているようだった。特に特集記事は目に留まりやすく、記者の豊かな感性を随所に垣間見ることで、新聞には「喜怒哀楽」が溢[あふ]れていることに気がついたようだった。
 授業では気になる記事を見つけ、要約と意見を英語で書くことを繰り返し行った。ネイティブの根気強い指導もあり、どうすれば端的に要約できるか、意見を述べるだけでなくそれを支える理由づけの大切さを学ぶこともできた。異なる文化をもった人々が、母語や第二言語としている英語は、明確に自分の意見を表現するにはよい手段であった。これらの意見文を利用して、英語で意見交換をしたり、スピーチの形にして発表したりした。
 新聞は「世の中を知る教科書」であり、NIE活動を通して私たちが大きく成長できたことは言うまでもない。これからも新聞を利用した授業を展開していきたい。

 (木宮暁子/常葉橘高)

節電アイデア練り投稿も

2012年08月05日(日)付 朝刊


 今年もたいへんに暑い夏となり、電力不足の心配から節電や発電の問題が注目を集めています。新聞にもタイムリーな関連記事が数多く載っています。
 そこで、今回は、「学生児童発明くふう展」で入賞した生徒の記事を導入として使い、「発電や節電、環境保護のための新たなアイデアを追究し、発信していく実践」を紹介します。環境問題やエネルギー問題から自分の生活を見直し、科学に関心を持つためのよい機会となる実践です。
 対象は小学6年生と中学3年生です。もちろん他の学年でも可能です。理科(エネルギー・電気の利用・科学技術と人間)や技術(エネルギー変換・力の伝達)の授業などが中心ですが、幅広く応用可能な実践にしてあります。
 まず、子どもたちに「持続可能な社会とはどのような社会か」を問いかけます。その上で、次の新聞記事を紹介して読み込ませ、「蛇口発電ライト」の発電の仕組みについて、子どもたちに説明させます。小学生では、発達段階に応じて教師が補足説明し、仕組みを理解させるとよいでしょう。
 その後、「記事の坂田さんに負けないよう、日常生活の中で電力を生み出したり、節電したりできる新たなアイデアを工夫しよう」と子どもたちに投げかけ、各自でアイデアスケッチを描かせます。この時のポイントは「身の回りの生活で可能なアイデアを考えさせる」ことです。
 さまざまなアイデアが出てきたところで、それをグループ内で紹介し合ったり、クラス全体で発表したりして、さらに工夫を加え、アイデアを練り上げます。
 練り上げたアイデアは紹介し合うと同時に、400字程度の文章にまとめ、新聞に投稿することを勧めます。投稿が採用されれば、自己肯定感が高まりますし、新聞紙面上で自分のアイデアについて意見をもらえることもあります。反響があればますます学習が深まります。また、新聞を通して、そのアイデアを広め、多くの人の環境意識を高めることもできます。
 このような実践をきっかけとして、「持続可能な社会」や「エネルギー」をテーマに新聞記事を集めて紹介し合うNIEの活動を組んでみましょう。学習が継続し、科学や環境への関心がさらに高まっていくことと思います。
(矢沢和宏/島田川根中校長)

20120805.JPG

20120805図1.JPG

20120805図2.JPG

知・情・意の大海を楽しむ

2012年07月29日(日)付 朝刊


 NIE実践校として2年目の夏を迎える。思えば理想の授業を目指し手を挙げた。まだワープロもパソコンもなかった80年代、授業が下手で駆け込んだ地域の社会科サークルで出会った実践があった。今は亡きS先生はテーマに沿った記事を切り抜き、巧みに質問を設け問題の本質に導いていた。新聞が社会と生徒を結ぶ触媒となっていた。以来、夕飯を食べながら新聞からネタを探すのが日課となった。
 新聞は公正な記者の目や耳を通し、自分が行けない海外情勢や、被災地の人々の心境を現実のように伝える力を持つ。読者は記事に織り込まれた名もない人々の努力に励まされ、寄稿者の提言に新たな発見をし、読者の声に気付かされる。新聞はまるで大きな海のようだ。うまく生かせば思考を深め、よりよく生きるための血や肉となる。
 昨今は新聞自体が教材化を待つようにレイアウトされ、後は実行するだけである。学校は教育の場であるから準備をおろそかにできない。しかし、言い訳がましいが忙しさに追われ躊躇[ちゅうちょ]しているうち使うタイミングを逃してしまう。4月創刊の社会科通信「トンボの眼」は数号で休刊、切り抜きはスクラップと化し古新聞が積み上がる。
 忸怩[じくじ]たる思いでふと周りを見ると、国語の先生が気に入った記事を授業の枕に使い、声に出してコラムを読む日本語授業を軽やかに展開していた。楽しみに待つ生徒が増えたと聞いた私は、肩の力を抜き授業に新聞を持って行った。
 何げなく記事を引用すると、生徒の反応が高まる感触を得た。新聞を読んでいたお陰で突然のいい質問にもすっきり答えられ、授業帰りの廊下でニンマリした。形を作るばかりがいい授業ではないと実感した。
 小中学校での新聞活用が指導要領で定められたが、目に見える成果だけを追わない方が良いだろう。せっかくの源泉が本末転倒になりかねない。これからも新聞という知・情・意の大海を泳ぐ楽しさを生徒と共に味わい、形にとらわれずNIEの可能性を探っていきたい。
(小林大治郎/島田樟誠高)