一緒にNIE

「一緒にNIE」は静岡新聞の「教育」欄で2011年4月にスタートし、2015年4月から「月刊 一緒にNIE」で連載しています。 日本新聞協会認定の県内のNIEアドバイザーたちが教諭や保護者に NIEをやさしく解説し、授業活用のヒントを示しています。NIEへの理解を広げるため、ご活用ください。

月刊一緒にNIE@しずおか・第1土曜掲載=社会の情勢 記事で学ぶ 生徒に意見表明の力-静岡聖光学院高

2017年02月04日(土)付 朝刊


 NIE実践指定校、静岡市駿河区の静岡聖光学院高は、生徒たちにより深く社会への理解を促すため、学習内容と関連が深い新聞記事を活用した授業に取り組んでいる。このほど行われた政治経済の授業では、1年生が国の来年度予算について書かれた記事を参考に主体的に学習するアクティブ・ラーニングを実践した。

 「歳入が歳出を上回るにはどうしたらいいんだろう」「何の費用を減らそうか」
 財政の仕組みや働きについて学んでいる生徒らは3~4人一組になり「自分が政治家になったとしたら、来年度の予算編成をどうするか」というテーマで話し合った。
 授業はグループに分かれ、最後に発表する形式。事前に配布された国の予算編成や税制改正に関する新聞記事を活用して現状や問題点を整理したり、タブレット端末を用いて主張を補強するデータなどを探したりしながら、グループごと意見をまとめ上げた。
 「歳入を増やして赤字国債を返済するには、社会保障費を抑えて、富裕層の所得税や消費税を上げるべきではないか」。あるグループの代表者が意見を述べると「それでは、高所得者は海外へ逃げてしまうのではないか」「高所得者の所得税や、法人税は下げた方がいいと考える」などとそれぞれの主張がぶつかり、活発な議論が繰り広げられた。
 授業に出席した風間悠平さん(16)は「新聞などを活用して、みんなで意見を交換し合うのは面白かった」と満足そうに語った。尾藤悠貴さん(16)は「日本の現状を知ることができた。普段の授業で習う知識にプラスアルファで学べるものがあったと思う」と話した。
 授業を担当した伊藤大介教諭(42)は、同校がNIE実践指定校として2016年に認定を受ける前から新聞を政経の授業で活用してきた。理由は「事実として、社会で何が起こっているかを知ってほしいから」。新聞を購読しない家庭が増える中、「ネットで何でもすぐに分かる時代だが、一方で情報をえり好みしてしまう側面がある。一覧でき、さまざまな情報が載る新聞は今の時代こそ貴重なのではないか」と考える。
 以前は、授業の前振りとして「こんなニュースあったよね」と生徒に発信する形で新聞情報を取り入れていたというが、記事を教材として扱い始めてから生徒の社会への理解が深まり、「受け売りではなく、彼らなりの意見を表明する力は、小さいながらもついてきている」と手応えを感じている。
 実際、「時事問題について"新聞で読んだ"と話す生徒がいたり、普段新聞を読まないような生徒が校内で新聞を手に取る姿を見かけたりした。影響があると感じる場面はある」とNIEによる生徒の変化を実感する。
 記事を通し、事実や人の主張を理解することで自分なりの意見を形成できるようになることが理想だといい、「18歳選挙権も導入された。在学中に社会的な目を養って、自分で政治や経済について判断できるよう視野を広げてほしい。考えさせる授業を続けていきたい」と力を込めた。

 

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新聞やタブレット端末を活用して意見交換する生徒と伊藤大介教諭(奥)=静岡市駿河区の静岡聖光学院高

 

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グループの主張を発表する生徒=14日午前、静岡市駿河区の静岡聖光学院高

 

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 ■紙面授業=日本史-城下町沼津を歩く 加藤学園高・森聡太郎先生
 大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送が始まりました。舞台である浜松市を中心に観光客も増加傾向にあるようです。放送開始前から、大河ドラマ館やマスコットキャラクター「直虎ちゃん」の話題が新聞紙面をにぎわしていました。
 直虎で沸く浜松市は、浜松城の城下町として発展した町です。江戸時代、天領(幕府直轄領)が多かった静岡県内でも、掛川や静岡(府中)などが城下町として思い当たりますが、実は沼津もれっきとした沼津藩水野家5万石の城下町でした。水野家は於大の方(徳川家康生母)の実家であり、何人もの老中を輩出した名門譜代なのです。
 実際にかつての沼津領内を歩いてみましょう。そこには江戸時代の城下町沼津のわずかな痕跡を認めることができます。
 まず中央公園、ここが沼津城本丸の跡地であり「沼津城本丸址」という石碑もあります。中央公園のすぐ南西に狩野川が流れ、狩野川を外堀に見立てて築城されたことが分かります。大手町に鎮座する城岡神社は城の守護神として奉られた稲荷神社です。城は破却されてしまいましたが、神社を取り除くことはできなかったようです。
 大手町という地名も城址に由来します。大手門は城の正門に当たり、現在の大手町交差点より少し南に沼津城大手門が存在しました。
 藩政時代の遺構が残る場所もあります。沼津の中心街より国道1号線を東へ進んでみましょう。東下石田の交差点を右折、県道145号(旧東海道)を清水町方面に向かうと左手に榜示杭[ほうじぐい]という石柱があり、「従是西[これよりにし]沼津領」と刻まれています。ここは沼津藩領の東端、境界線を表すいわばカントリーサインです。西端の榜示杭は沼津市西間門の八幡神社境内に残っています。
 他にもかつての寺社地(末広町・浅間町周辺)に今も寺社が集中する様子や、旧沼津宿に残る本陣跡(本町・下本町)など、よく見てみると城下町を感じることができます。
 「人に歴史あり」といわれますが、「わが町にも歴史あり」です。少し目線を落とし、足元を見直してみるのも意義あることではないでしょうか。

 ※県内の中学・高校の先生が、時事のニュースや話題を切り口にした授業を紙面で展開します。