一緒にNIE

「一緒にNIE」は静岡新聞の「教育」欄で2011年4月にスタートし、2015年4月から「月刊 一緒にNIE」で連載しています。 日本新聞協会認定の県内のNIEアドバイザーたちが教諭や保護者に NIEをやさしく解説し、授業活用のヒントを示しています。NIEへの理解を広げるため、ご活用ください。

月刊一緒にNIE@しずおか・第1土曜掲載=4校が活動事例、成果報告

2017年03月04日(土)付 朝刊


 県NIE推進協議会(安倍徹会長)はこのほど、2016年度NIE実践報告会を静岡市駿河区で開いた。14年度から3年間、実践指定校として新聞を活用した教育を推し進めてきた小学校と中学校、高校の計4校の担当教諭が活動事例や成果を報告した。発表内容の概要を紹介する。

 ■放送で「記事クイズ」-富士田子浦小・矢部紗也佳教諭
 全校児童の約3分の1は家庭で新聞を取っていないが、新聞を使った学習は多くの児童が楽しいと回答した。子どもの発達段階に応じて新聞を活用すれば、魅力的な教材になり得ると考え、学習意欲を高め、読解力や表現力を身に付けようと実践に取り組んだ。
 校内に「NIEコーナー」を設置し、保護者ボランティアが、子どもたちに興味を持ってもらいたい新聞記事をスクラップして掲示した。
 実際に起こった事件や米大統領選などを題材にして授業に取り入れ、2~6年生は朝の会で気になった新聞記事を発表するなどした。アナウンス委員会は記事のクイズを作り校内放送で出題した。
 新聞が少しずつ身近なものとなり、表現力が高まった。難しい言葉は辞書を活用するなど、読解力や言葉への関心も高まってきた。

 
2017022401.jpg

 

 ■歴史と「今」結ぶ道具-南伊豆中・一森康佑教諭
 生徒にとって新聞を身近なものに―。そんなテーマの下、手に取りやすい場所に新聞を置き、授業や学校生活の日常で取り入れた。
 閲覧スペースでは、その日の新聞を一列に並べ「一面記事」「同じニュース」「割り付け」「子どもを扱った記事」に注目した。読み比べ、伝えたい内容や読みやすさの工夫に差があることを意識すると、社会的事象を多面的に見るきっかけになった。ホワイトボードに教員のおすすめ記事とコメントを添えると、生徒の感想や意見も出るようになった。
 3年生の歴史の授業「第2次世界大戦と日本」では「昭和天皇実録」の内容が公開された記事を紹介するなどした。特に社会科の授業では新聞は「教科書に書いてあること」と「現実の世界で起きていること」をつなぐツールとして活用できるとわかった。
 

2017022402.jpg

 

 ■英語の授業とも連動-駿河総合高・深沢邦洋教諭
 信頼性の高い情報源である新聞を、SNSなどのように親密性の高いものにしていきたい―。このような目標を立て、授業や総合学習、部活動「報道部」の活動で取り組んだ。
 総合学習では静岡新聞夕刊のコラム「窓辺」を読み通し、執筆者本人に講演をしてもらった。現代社会の授業では、18歳選挙権の同じ記事を教材に使用。英語の授業では、静岡大学が関わる「宇宙エレベーター」を取り上げた記事を活用し、予備知識を付けた上で英文を読むと、読みやすく理解を深めることができた。報道部では、学校紹介の壁新聞を作成した。部員が見出しを付けて紹介したい記事を掲載し、昼の校内放送で新聞記事ダイジェストの放送なども行って活動の幅を広げた。
 派手さはないが、3年間でNIEの裾野が広がった。持続して発展させていきたい。

 
2017022403.jpg

 

 ■広告への理解も深化-島田商業高・小平和美教諭
 試行錯誤しながら3年間取り組むと、生徒が自発的にニュースについて考えるようになり成長が見られた。
 「広告と販売促進」という授業で企業が莫大[ばくだい]なお金を広告に投入していると学んだため、新聞広告に注目した。企業側がどう広告費を投入しているかを考えた。生徒が興味関心のある記事について、スクラップしたり語り合ったりすると、スポーツ面や広告、テレビで見た話題を選ぶなど、生徒の好みが分かれた。
 記事からグラフを作り、グラフ化したものを文章で表現した。容易ではなかったが、生徒主体の積極的な授業が展開できた。記事を一文でまとめてみたり、同じ記事でもどんな違いがあるか読み比べもしたりした。
 生徒が自発的に考えるようになることが、NIEの大きな魅力だと感じた。

 

2017022404.jpg

 

               ◇........................◇

 

 ■紙面授業=聖書-人間とは何か 聖隷クリストファー中・高 大野和男先生
 「自分は何者か」、人は生きる意味・存在する意味を考え、求める生物です。全ての生物の中で、人だけがそのことを問題にして生きています。
 昨年7月26日、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件は、新聞紙面でも大きく取り上げられました。この事件で逮捕、起訴された被告は、「障がい者は不幸だ」「生きる意味がない」と主張しました。
 ただ、そのような考えは第2次世界大戦中のナチス・ドイツの優生思想をはじめ、いつの時代も私たちの中にあります。人は自分の生きる意味を求める一方、いじめのように他者の存在を否定し自分と他者を比較せずにはいられないのです。
 旧約聖書イザヤ書に「わたしの目にはあなたは値高く、貴い」という言葉があります。人は偶然の積み重なりの中でたまたま生じてきた存在ではなく、一人一人価値ある貴いものとして、明確な意思により存在していることを聖書は伝えます。
 この思想は聖書にとどまらず、トーマス・ジェファーソンらの記したアメリカ独立宣言にも、また日本国憲法の中にもみられるものです。人が一人一人意味ある存在として創造された、ということは自分という存在の支えであり、また他の人の存在意味を人が決めることはゆるされない、という人としての責任を持つことを意味します。
 責任は英語でresponsibilityですが、response(応答)とability(能力)という言葉からなっています。つまり責任は「応える能力」なのです。
 人としての責任とは何でしょう。人は何に応える能力を持つべきなのでしょうか。聖書は、人は神の愛に応える存在だと伝えます。愛に愛で応える存在ともいえるでしょう。これもまた現代社会に既に広く行き渡った思想かもしれません。
 さまざまな価値観があふれるかに見える現代だからこそ、一見当然に思えても、実は大切なことがあります。その大切さの根拠はどこにあるのか考えてみてはどうでしょうか。

 ※県内の中学・高校の先生が、時事のニュースや話題を切り口にした授業を紙面で展開します。