わた死としてのキノコ 記念対談のひとこま
10月27日まで静岡市美術館のエントランスホールで行われている今村源さんの「わた死としてのキノコ」展。9月1日、同美術館の以倉新学芸課長が司会を務め、京都市立芸大の建畠晢学長との記念対談が行われました。
興味深いやりとりをいくつか紹介します。
今村「違う生き物が一緒になって生きる、というかたちに興味があるんです。『寄生』もその一つの形。ちょっとうっとうしい。人によっては『迷惑やな』と感じる。そんな『違和感』がありながらも、今までにない風景を提示したいと思っています」
今村「〝作家〟というのは西洋の感覚で言ったら個性を凝縮して際立たせる存在。でも自分のやっている表現はどうも弱々しい。(一般的な意味での)〝作家性〟と相容れないように感じていたんです」
建畠「今村さんはずっと軽い素材で作品を作っています。関西の美術界では、突然変異のような存在。でも〝マッチョ〟ではないからと言って主張がないかといえば、そんなことはない。見る者に、柔らかなシンパシーを呼び起こす。これはなかなかできないことなんです。今村さんの体質とシンクロしている。だからエレガントに見えるんです」
以倉「今村さんの作品は1980年代後半から、空中に浮くものが主流になっていきますね」
今村「〝先端〟がわかりやすく提示されていた美術界の状況が変わって、いろいろな規制に束縛されずに自由に創作しようという機運が高まっていたんです。でも僕はそれに乗れなかった。積み上げてきたのに、という気持ちがあった。だから土台にあるものから自分を捉え直し、手法を裏返そうと試みた。『吊る』というのはそれまでの彫刻のあり方に対する反抗なんです」
続きはまた後日。(橋)
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