SPAC「サーカス物語」を巡る対話(中)
11月3日に千秋楽を迎えた県舞台芸術センター(SPAC)の「サーカス物語」。終演後のアーティストトークの抄録第2弾です。(第1弾はこちら)
SPACの芸術総監督を務める宮城聰さん。
インドネシア人演出家であるユディ・タジュディンさんとのコラボレーションについて、次のように振り返りました。
「国際共同制作では、どこか(音楽の)『ジャムセッション』のようになります。お互いが持っているものをぶつけ合って、スパークそのものを楽しもうというイメージ。その点でいえば、(今回のプロジェクトは)瞬間的な火花ではなく、僕ら(SPAC)のレパートリーになりうる完成度まで持っていく作業でした。こうしたコラボレーションはあまりないかもしれません。長い付き合いのあるユディとの、全面的な信頼関係があったからこそできたのです」
完成した作品を見て、宮城さんは「抽象化された母性と父権」を感じたそうです。
「赤ん坊と母親の関係は、2人だけで完結していて言語が必要ない世界。これに対して父親は『他者』。赤ん坊からすれば、視野に入ってくると言語が必要になる存在です。『サーカス物語』はこの関係を、登場人物に託して物語化しているように思えました」
父権を「完全な自由を制限するもの」と規定する宮城さんは、「サーカス物語」の本質を次のように解き明かします。
「(SPACのような)公立劇場も父権的な存在。赤の他人が集って社会がなりたっている。だからルール、言語、法が必要になる。こうしたシステムは、人間が望んで作っていくものですが、最終地点では人を抑圧します。アーティストは、もっと自由になりたい。でも、システムに縛られる。そういう状況に陥った時に、母性が最後の切り札として働いて、父権的だったものを金色に輝かせる。『サーカス物語』はそういう話ですね。人間って、世界ってこういうものだよねという」(橋)
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