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日本のアニメを語る上でぜったいに外せない「1983年」。この年、何が起きたのか

SBSラジオ「TOROアニメーション総研」のイチオシコーナー、人気アニメ評論家の藤津さんが語る『藤津亮太のアニメラボ』。今回は「1983年」についてお話を伺いました。※以下語り、藤津亮太さん

“アニメ”が広く認知され始めた1980年前後

今のアニメファンが、こういう感じで“アニメファン”として世間に認知されるようになった一番最初のムーブメントが、1980年前後にありました。1977年に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』がヒットし、劇場前にファンの長蛇の列ができたことで、世間に“アニメ好きな若者がこんなにいる”ということが広く知られるようになりました。劇場版『ヤマト』の宣伝の過程で、「アニメ」という言葉そのものも急激に広がったんです。

1977年のヤマトに続いて1979年の『機動戦士ガンダム』、1981年の『うる星やつら』、1982年の『超時空要塞マクロス』と、アニメファンの好きなものが次から次へと現れます。そのピークが1983年でした。

作品の対象年齢も少しずつ上がり、中学生以上も楽しめるような恋愛要素のあるドラマが扱われたり、疑似恋愛の対象になりそうな美形キャラが出てきたり、戦いも戦争っぽい側面が強調されたハードなテイストだったりと、いうアニメが一番増えたのが1983年でした。

例えばテレビアニメでは『聖戦士ダンバイン』や『装甲騎兵ボトムズ』、『魔法の天使クリィミーマミ』という魔法少女もの、『未来警察ウラシマン』など。映画では1983年3月の春アニメが話題作豊富で、安彦良和監督の『クラッシャージョウ』や、角川映画がアニメ映画に参入したりんたろう監督の『幻魔大戦』、そしてブームを切り開いた『ヤマト』シリーズの『宇宙戦艦ヤマト 完結編』がありました。

しかしこのブームは1984年いっぱいで終わります。1984年の秋には、ティーンエイジャー以上に人気があったロボットアニメやラブコメ作品がぐっと減るんです。ロボットアニメは『マクロス』以降、プラモや玩具が期待されたほどヒットしなかった。ラブコメもテレビ局が望むような視聴率がそれほど取れなかったため、テレビ局やスポンサーの意向で再び対象年齢を小学生ぐらいに定め直した企画が増えてきます。

その前触れは1983年の『キン肉マン』のヒットにありました。1981年にジャンプで『Dr.スランプ アラレちゃん』がスタートし、これが爆発的ヒット。ジャンプアニメは基本的に小学生男子を対象にしているので、1983年のピークが1984年に終わり、ジャンプアニメと入れ替わるという感じになりました。

視聴率ではなく、映像そのものにこだわったOVAの台頭

もう一つ1983年で大きかったのはOVA(オリジナルビデオアニメ)の存在です。テレビアニメはテレビで見て、劇場アニメは映画館で観るものですが、OVAはテレビでもかからないし映画館でも基本的に上映されない(早朝などに特別に上映する場合はありました)。当時でいうレコード屋さん経由で買って楽しむ、あるいはもう少し後の時代になるとレンタル店が普及するので、レンタル店で借りて観るという形で、映像そのものを商品にしたものです。

OVAが登場したのが1983年12月で、押井守監督と鳥海永行監督の『ダロス』という作品でした。テレビアニメだとスポンサーがついているのでマニアックな要素を抑えて、みんなが楽しめるように制作することが求められるのですが、ビデオは好きな人が買えばいいから、どんどん尖ってくるんです。だから、暴力とエロみたいな要素もはっきり入ってくる。こうして映像そのものを商品にして、ファンに買ってもらうビジネスが出来上がりました。これが1990年代後半になって登場する深夜アニメのビジネスの原型になってくるわけです。深夜アニメも基本的に、DVDやBlu-rayを買ってもらうのが目的のビジネスですから。

このような感じで1983年はアニメブームのピークであり、同時に深夜アニメに繋がっていくアニメを中心とした映像ビジネスの始まりの年だったというお話でした。

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