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SBSテレビ 静岡市歴史めぐりまち噺し

駿府城のふたつの天守台のお噺し

2023年3月19日放送の「静岡市歴史めぐり まち噺し」は、駿府城のふたつの天守台のお噺しです。
語り:春風亭昇太

将軍職を秀忠に譲り、大御所として駿府に移り住んだ徳川家康が、慶長12年(1607年)に全国の大名に命じて築城した駿府城には、壮大な天守がありました。

天守が焼失した後も残されていた天守台が取り壊されたのは、駿府城が廃城となった後の明治29年(1896年)。陸軍歩兵第34連隊がこの地に召致され、それと同時に城の内堀も埋め立てられました。

戦後、連隊の跡地は旧制静岡第一中学となり、やがて城内高校、新制 城内中学校へと、学生たちの学び舎としての変遷を経て、天守台の跡地付近には、丹下健三氏の設計による駿府会館が建てられ、イベントなどの会場として、親しまれました。

駿府会館が取り壊された後、昭和50年代には、静岡県立美術館の建設に向けた発掘調査が行われ、今川館の跡と思われる遺構が見つかりました。それによって、静岡県立美術館は、現在建っている駿河区谷田へ建設地が変更されました。そして、平成28年(2016年)から、再び始まった発掘調査で、江戸時代、慶長期の天守台だけでなく、戦国時代、天正期のもうひとつの天守台が見つかったのです。この発見により、大御所・徳川家康は、豊臣氏が栄えた時代の天守台を埋め立てて、新たな天守台を築いていたであろうことがわかりました。

発掘現場からみつかった金箔瓦。金箔の貼り方などには、豊臣政権下の金箔瓦の特徴も見られ、天正期に豊臣の配下であった家康が、豪華絢爛な黄金の屋根の天守を築いたものと考えらえています。割れた金箔瓦のかけらが400点以上発掘されましたが、細かい破片が多く、原形を復元できるものは、ほとんどありませんでした。天下人となって駿府に戻った家康は、豊臣の時代の象徴とも言える金箔瓦を粉々に砕き、その上に新しい駿府城を築くことで、徳川の天下となったことを示したかったのかもしれません。

静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。

静岡市の観光親善大使でもある春風亭昇太師匠の語りで、歴史や文化、特産品など、静岡市の魅力を紹介するミニ番組です。(毎週日曜日ひる12時54分放送)

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