袋井・浅羽地区3小学校、同じ校歌なぜ?【NEXT特捜隊】

通常は校長室の壁高くにかけてある校歌額を下ろし、歌詞に寄せる思いを語る金原正巳校長=袋井市浅羽の市立浅羽北小
通常は校長室の壁高くにかけてある校歌額を下ろし、歌詞に寄せる思いを語る金原正巳校長=袋井市浅羽の市立浅羽北小
共通校歌を歌う3校
共通校歌を歌う3校
通常は校長室の壁高くにかけてある校歌額を下ろし、歌詞に寄せる思いを語る金原正巳校長=袋井市浅羽の市立浅羽北小
共通校歌を歌う3校

 「袋井市浅羽地区の小学校3校は同じ校歌を歌っています。なぜなんでしょう?」
 袋井市の元警察官海野純さん(73)は学校の安全を守る「スクールガード・リーダー」を務めて約15年。市内各校を巡回する中で「あれ?」と気付き、頭の片隅でずっと気になっていた。自分なりに調べてみたが、すっきりしない。静岡新聞「NEXT特捜隊」に調査依頼を寄せてくれた。
 校歌と言えば、各校の校訓や教育理念、地域性などを反映した歌であり、1校1歌が基本だろう。まずは県教委義務教育課に問い合わせてみた。お隣の掛川市に勤務した経験がある幹部職員も「え、初めて知りました」。同課はすべての校歌を把握していないため「聞いたことはないが、他市町にないとは言い切れない」とのこと。念のため、同僚記者と手分けして全35市町に尋ねた。分校を除いて別々の学びやで同じ校歌を歌い継いでいる例は見つからなかった。
 ◇◇◇
 なぜ浅羽だけ…。袋井市教委を訪ね、山本裕祥教育監(61)に話をうかがった。山本教育監は15年ほど前、浅羽中学校に勤務していた。「笠原と浅羽南、北、東の4小学校から入学してくる。浅羽3小が同じ校歌だったとそこで初めて知る子もいました。意外に知らないまま大人になる人も多いのかもしれません」
 歌詞を見てみよう。
 一、太平洋の波よせて/洗うなぎさのいさぎよく/はるかに望む富士のねに/千年の雪の色白し
 二、このうるわしき地を占めて/里の習いも美しく/おちこちかけて昔より/浅羽の庄の名ぞ高き
 三、このうるわしき海山に/心たぐえてわれらみな/わが美しき里の名を/いく千代までも伝えてん

 山本教育監は「浅羽の地をうたう歌詞には校名が入っていません。私自身、不思議だなあと思っていました。5カ村共通の校歌だったからそうだったんだと後に分かりました」と振り返る。
 共通校歌は明治時代後半、浅羽5カ村(上浅羽、西浅羽、東浅羽、幸浦、豊浜)で制定に向けた機運が盛り上がり、大正2(1913)年に披露されたとの記録が残る。各村1校の尋常小学校で歌った。山本教育監もそれ以上の情報は持ち合わせていなかったが、元教員の鵜飼和吉さん(71)が過去に経緯を詳しく調査していると教えてくれた。
 ◇◇◇
 磐田市内の鵜飼さん宅を訪ねた。「5カ村の教育界は結束が強く、定期的に校長の茶話会などが開かれていました。明治39(1906)年には小学校の共通校訓を定めました。この校訓の徹底を図るため校歌も一つにしたのでしょう」。多くの資料に当たった鵜飼さんなりの答えだ。
 5カ村のうち、豊浜は1955(昭和30)年、福田町(現磐田市)に属することになり、豊浜小は新校歌を制定した。しかし、浅羽地区では昭和40年代の学校統合による北小・南小の開設、平成初頭の北小の分離・東小の新設時にも新たな校歌を、との動きは表面化しなかった。なぜ? 疑問が残った。
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 平成の分校とともに北小から東小に転勤した経歴を持つ金原正巳北小校長に聞いて、ふに落ちた。
 「校章は校訓は、という話はあっても校歌は歌い継ぐのが既定路線だったと思う。町民の間でとても大切にされていたし、当時の岡本幸夫教育長=故人=の意向も強かったと記憶しています」。東小体育館に掲げられた校歌額は岡本教育長自ら揮毫(きごう)した。
 浅羽3小全てに勤務した金原校長は「昔からの風土と言いましょうか、浅羽は地域の皆でふるさとを愛する子どもたちを育てようという思いが強い。この歌には、その精神が脈々と生きているのでしょう」
 袋井市は中学校区単位の幼小中一貫教育プログラムを本年度始動した。浅羽地区は「浅羽学園」と冠し、令和の時代に、伝統の「結束」を新たに。金原校長は「このタイミングで校歌に注目していただいたことに、運命を感じます」と、わずかに目を潤ませていた。
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 蛇足だが、校歌にはもともと四番があった。
 四、誠勇順の三つの徳/これぞ心の守りなる/自治公徳の精神を/ふるい起こせよ怠るな
 明治時代の5カ村校訓を色濃く反映している部分で、現在は歌われていない。軍国的、修身的な色が強いからとの説もあるが、鵜飼さんは行事などで四番まで歌うのは時間的に長いことと、昭和の学校統合により校訓を各校ごとに定めたことが大きかったのではないか、と推測する。
 共通校歌への思い入れが強かったとされる岡本教育長が揮毫(きごう)した校歌額には四番まで記され、この歌詞を今に伝えている。(TEAM NEXT編集委員 松本直之)

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