【追想メモリアル】元文相 赤松良子(あかまつりょうこ)さん(2月6日死去 94歳)男女平等へ人を育てる

 歴史を変えるほど社会に大きな影響を与えた法律は実はそれほど多くはない。1985年成立の男女雇用機会均等法は、間違いなくその一つ。「生みの親」として「男女平等への長い列」に連なる人を育て続けた。

男女雇用機会均等法成立に尽力した赤松良子さん。知る人は皆「おおらかで楽天家でおちゃめだった」と口をそろえる。お酒が大好きだったという=1月、東京都内(金沢希乃さん提供)
男女雇用機会均等法成立に尽力した赤松良子さん。知る人は皆「おおらかで楽天家でおちゃめだった」と口をそろえる。お酒が大好きだったという=1月、東京都内(金沢希乃さん提供)

 大阪で、洋画家の父の下、西洋文化が身近な環境に生まれ育った。「女のくせにと言われ続け、腹が立って仕方なかった」少女時代、近所に住む「職業婦人」に憧れた。
 津田塾大を経て、「男性と対等な勝負ができるスタートラインに立ちたい」と女子に門戸を開いたばかりの東京大に入学し、「女だからと言われない社会にしたい」と53年に旧労働省入省。後にウルグアイ大使や文部大臣(当時)などを歴任したが、最大の功績は「生涯で一番頑張った」と話した通り、均等法を成立させたことだ。
 財界・労働界双方から猛反発を受け、根回しに走り回って成立にこぎ着けた均等法は、募集・採用・昇進などへの差別禁止は盛り込めなかった。「ざる法」と批判された。それでも施行を機に企業に職を得た「均等法世代」と呼ばれる女性たちが誕生した。「小さく産んで、大きく育てる」と後続に託した均等法は改正を重ね、女性が男性と平等に近い形で働くことが当たり前になった。
 大学などで後進の育成に尽力し、晩年まで年若い友人に囲まれた。「四半世紀のつきあい」という教え子の一人、金沢希乃さん(49)は「楽天家で、人のための労をいとわない人。周りも『先生のために何かしたい』と思ってしまう」と話す。
 津田梅子をはじめとする「女性解放や男女平等を求める人たち」の長い列に加わるという表現を好んだ。苦難の多い時代に闘った先達がいて、そのおかげで自分が在り、後続に伝える-。なんと尊いつながりであることか。

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