【追想メモリアル】アサヒビール元社長 福地茂雄(ふくちしげお)さん(1月29日死去 89歳)縁の下の苦労 報いたい

 社長になってからも毎年200冊の本を読む。昼夜分かたず人と会い、じっくり耳を傾ける。「よくそれだけの情報を消化できますね」と尋ねると、「ビールの営業育ちだから肝臓と胃は強いんだよ」と、はにかむような笑顔が返ってきた。

NHK会長時代、受信料の10%還元を迫られ、記者会見する福地茂雄さん。在任中は大相撲の生中継中止や記者の情報漏えいなどの問題に苦しんだ=2008年10月、東京・渋谷
NHK会長時代、受信料の10%還元を迫られ、記者会見する福地茂雄さん。在任中は大相撲の生中継中止や記者の情報漏えいなどの問題に苦しんだ=2008年10月、東京・渋谷

 ケインズから流行の小説まで読みこなす教養人のイメージと、営業一筋の歩みが自然に重なる経営者だった。
 ライバルのキリンビールやサントリーが低価格の発泡酒で先行したことがある。アサヒには「超」が付く人気商品「スーパードライ」があった。発泡酒に参入するかどうか、激しい議論が巻き起こり、迷いに迷った。
 結局、2001年2月に赤いラベルの発泡酒を売り出し、大成功したのだが、「納得できる味がようやくできた」といつもの温顔で語るだけ。派手なパフォーマンスとは無縁だった。
 3度勤務した大阪への思い入れはことのほか深かった。創業の地である大阪・吹田の支店長だった草田哲也さんは「一線を退いてからも酒販店を訪れ、お世話になった店主の位牌(いはい)に手を合わせていた」と振り返る。
 好んだ言葉の一つに「アンサング・ヒーロー」がある。意味を聞いたら「縁の下の力持ち、だよ」と教えてくれた。歌にたたえられることがない無名の人々。寸暇を惜しんで工場や営業所を回り、現場の社員や取引先と語り合ったのは、心に描いたヒーローたちをねぎらうためでもあった。
 不祥事に揺れるNHKの再建を託されても姿勢は変わらなかった。日の当たることが少ない受信料の収納、番組考査、技術などに目を向け、人事と組織を動かした。会長を3年務めてNHKを去る時、職員が広い正面玄関を埋め尽くして見送ってくれたことはひそかな誇りだったに違いない。

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