女性が働かない日、次世代につなぐバトン 差別乗り越える歩み、「境界から」(2)アイスランド

 「ママ、男の人でも大統領になれるの?」。1986年10月、アイスランドの首都レイキャビクに住むグドルン(77)はまだ幼かった娘にこう聞かれた。レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の歴史的なレイキャビク会談の時だ。

1975年に行われた最初の「女性の休日」の思い出を語るグドルン(右)とゲルドル。集会を重ねて議論しながら実現にこぎ着けた=2023年10月、アイスランド・レイキャビク近郊(撮影・松井勇樹、共同)
1975年に行われた最初の「女性の休日」の思い出を語るグドルン(右)とゲルドル。集会を重ねて議論しながら実現にこぎ着けた=2023年10月、アイスランド・レイキャビク近郊(撮影・松井勇樹、共同)
アイスランド・レイキャビクで行われた女性のストライキに参加した親子。参加者は暴力や男性優位の社会に抗議するプラカードなどを手にした=2023年10月(撮影・松井勇樹、共同)
アイスランド・レイキャビクで行われた女性のストライキに参加した親子。参加者は暴力や男性優位の社会に抗議するプラカードなどを手にした=2023年10月(撮影・松井勇樹、共同)
アイスランド・レイキャビク
アイスランド・レイキャビク
1975年に行われた最初の「女性の休日」の思い出を語るグドルン(右)とゲルドル。集会を重ねて議論しながら実現にこぎ着けた=2023年10月、アイスランド・レイキャビク近郊(撮影・松井勇樹、共同)
アイスランド・レイキャビクで行われた女性のストライキに参加した親子。参加者は暴力や男性優位の社会に抗議するプラカードなどを手にした=2023年10月(撮影・松井勇樹、共同)
アイスランド・レイキャビク

 アイスランドでは1980年に世界で初めて直接選挙で女性のビグディス・フィンボガドティル大統領が選ばれ、その後16年間務めた。娘は生まれてから一度も男性大統領を見たことがなかったのだ。
 ▽歩みを後押し
 女性大統領の誕生は、女性が労働をボイコットして存在をアピールする1975年10月24日の「女性の休日」が契機となった。グドルンはその事実上のストライキの準備メンバー。女性の9割が参加したとされ、男女平等への歩みを後押しした。自由を求める1970年代の潮流もあった。
 世界経済フォーラムによると、アイスランドは14年連続で男女平等度が世界1位。だが当時は賃金格差が大きく、政治参加も子育て環境も不十分だった。
 「反発は大きかった。男性からも、女性からも」とグドルン。参加を呼びかける集会を何度も開き、話し合いを重ねた。最終的には「ストライキではなく、女性の休日という名称で」との提案で賛同が得られた。
 家族の事情で当日は海外にいなければならなかったが、電話で様子を知り、うれしくて泣いた。新聞やテレビの報道が誇らしかった。妻から子どもを手渡され、おろおろする男性の話も後になって聞いた。
 5年後、女性大統領が誕生した時は、2人の娘の寝顔を見ながら「この子たちの人生は私よりきっと良くなる」と確信したのを覚えている。
 一緒に活動していたゲルドル(80)は、中学校の校長として赴任した地方の町の集会にいた。どれだけの人が来るか分からなかったが、地元の女性の99%が集まった。
 その後グドルンはレイキャビク市議に、ゲルドルは市の義務教育責任者になり、引退した今も女性運動を記録する活動を続けている。
 ▽差別にノー
 アイスランドではその後も、ヤコブスドッティル現首相など女性の活躍が続く。過去50年のうち半分の期間は女性が国のトップにいた。国会議員もほぼ半数が女性だ。
 ただ賃金格差はまだ残る。ドメスティックバイオレンス(DV)や性暴力も社会問題化。背景には家父長制や性別役割意識の強さがある。女性が自立すると男性の地位が下がったように感じ、暴力につながる緊張感が生まれるとの見方もある。
 こうした現状に反対の声を上げるため、2023年の10月24日には大規模なストライキが行われた。厳しく冷え込んだレイキャビクの集会には7万~10万人が参加。若者から高齢者まで年代はさまざまだ。あふれんばかりの人波の中、「暴力反対」などと書かれたピンクや赤のカラフルなプラカードが会場のあちこちで揺れた。
 広場に設けられたステージから「男女の収入差は21%。女性の40%が一生のうち一度はジェンダーに基づく暴力を受ける。これを平等と呼ぶのか」と問いかけると「ノー」の大合唱。性別を決めないノンバイナリー、外国人や障害のある女性への差別反対も繰り返しアピールした。
 この日、女性が多く働く保育園や小学校は休みに。店舗にも休業の張り紙が目立つ。市役所では子連れの男性らが数人出勤しているだけだ。「ストを前向きにとらえているが、今日は重要な会議はできない」と男性のダグル市長。首相も公務を取りやめた。女性なしに社会が回らないことがあらためて示された。
 グドルンとゲルドルも集会に駆けつけた。青空が広がる小高い丘の会場は女性で埋め尽くされていた。「素晴らしい気分。ずっと助け合いながら連帯していけたらいい」とゲルドル。
 ▽次の世代に
 1975年の参加者の姿もあった。当時学生で、その後国会議員になり、壇上でアピールしたクリスティン(72)もその一人だ。「大切なのは諦めずに行動し続けること。次の世代にバトンを渡すこと」
 若い世代も声を上げた。「団結してよりよい社会を目指すための闘い」と力強く話すのはおしゃれなファッションに身を包んだ20代の女性。思い思いのプラカードを掲げて参加した中学生のグループもいた。30代の女性は2歳から6歳までの3人の娘と母親の3世代で訪れた。「問題があればこうやって集まって訴えていくことが必要。これから先も娘たちと一緒に参加したい」
 1975年に祖母が参加したというビグディス(23)は会場の外で、誇りを胸にこの日を迎えた。「学校の授業でも習う歴史的な出来事。私が今あるのは彼女たちの勇気があったから。みんなで困難に立ち向かうスピリットは私にもある」とビグディス。「初めての女性大統領と同じ名前でうれしい」と笑顔で付け加えた。

 【取材メモ/団結と行動する力】
 地震が多く、温泉が豊富。島国でもともとは外国人が少なく、性別役割意識や家父長制が強い。保育園不足、家庭内での女性負担の大きさといった問題も含め、日本との共通点は驚くほど多い。だが、ジェンダー平等1位のアイスランドに対し、日本は125位。何がここまでの差を生んでいるのだろうか。最初は平等な国でなぜストなのかと思った。しかし、訴え続けるからこそ世界一なのだ。女性同士の立場を超えた団結と声を上げ行動する力。どちらも日本には足りない。

(敬称略、文は共同通信編集委員・尾原佐和子、写真は共同通信契約カメラマン・松井勇樹=年齢や肩書は2024年1月17日に新聞用に出稿した当時のものです)

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