時論(5月14日)村越化石 郷里の句碑20年

 蛇笏[だこつ]賞、紫綬褒章などを受け、2014年に91歳で死去した俳人村越化石は今年、生誕100年。郷里の藤枝市は記念行事を実施している。
 生家近くの「玉露の里」に立つ句碑はこの冬、建立20年になる。化石は除幕式に招かれ、ハンセン病国立療養所から60年ぶりに3日間だけ帰郷した。
 経緯は建立記念誌「大龍勢」、藤枝市制作のDVD「心眼」に詳しい。
 帰郷後の第8句集「八十路[やそぢ]」(07年)の巻末に、師の大野林火(1904~82年)が化石の半生と作品を解説した文章(79年)が転載された。林火先生にすべて明かしたこれをもって自伝とする、という強い思いを感じる。
 50歳を前に光を失い、最晩年は聴力も弱ったが、「大丈夫だよ」と句作に励んだと、自選句集「籠枕[かごまくら]」(2013年)に後進の俳人が書いている。
 静岡県立大名誉教授の関森勝夫さんは、化石とは兄弟弟子に当たる。藤枝市文学館で先週開かれた講演会で、02年の帰郷の後、化石は古里への賛辞を素直に詠むようになったと解説した。古里とは、母だった。
 里帰りして「よき里によき人ら住み茶が咲けり」と化石は詠んだ。この点、化石は他の元患者や家族とは違う。
 ハンセン病元患者の配偶者や子どもというだけで激しい差別を受けた家族が起こした訴訟で、熊本地裁は19年、隔離政策で家族も差別を受ける社会構造が形成されたと判断した。しかし、国の補償は進んでいない。家族だと知られたくないと、請求手続きを躊躇[ちゅうちょ]しているとみられる。同様の偏見や差別は新型コロナ禍で繰り返された。
 「病気のことはいいから、俳句の話を」と化石は話した。句碑建立20年を、作品だけに向き合う節目にしたい。

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