時論(8月1日)斎藤秀雄 最後の指揮

 毎年夏になると、この偶然を思い出す。1974年8月、家族旅行で泊まった長野県・志賀高原の旅館で、小澤征爾ら世界的に活躍する音楽家を育てたチェリスト、指揮者の斎藤秀雄が、最後に現場で教える姿に行き会った。
 旅館では桐朋学園のオーケストラが米国ツアーを前に合宿していた。オケの前に、ついたてを隔てて横たわる斎藤。時折演奏が中断すると、“伝令”が斎藤の指示を、けいこをつけるまな弟子の指揮者・秋山和慶に伝えていた。
 伏線がある。旅行の半月ほど前、秋山指揮のN響の演奏を当時の清水市民会館で聴いていた。小学6年だった自分にとって、最初の関心は「あの時の指揮者と旅先で会った」ということ。“その老人”が斎藤という「すごい人」だというのは親が耳打ちしてくれた。
 約1カ月後、斎藤は逝った。病状がかなり悪化している中、周囲の制止を振り切って合宿に参加したようだ。
 この体験が自分の中で重みを増したのは、その後、小澤と作曲家・武満徹の対談本を手にした時。小澤は「いつも持ち歩いている」という演奏テープのことを語り始めた。それは「宿屋の人の話し声が背景から聞こえてくるような(録音)」とのこと。「聴いているうちに涙が出てくる」とも。
 合宿最後の晩、私たちは宿を後にしていたが、斎藤は車椅子で人生最後の指揮を執ったのだった。聴衆は泊まり客。振ったのはモーツァルトの「ディヴェルティメント・ニ長調K136」。
 斎藤は小澤が育て上げた「サイトウ・キネン・オーケストラ」にその名を残す。音楽教育にかけた執念に改めて思いをはせたい。作家の中丸美繪が著した評伝の題は「嬉遊曲[きゆうきょく](ディヴェルティメントの日本語訳)、鳴りやまず」だ。

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