時論(9月11日)表現者たちの戦争伝承

 太平洋戦争を体験した人が減り続け、表現者たちも戦争を作品の題材にしたり、演目にしたりするなどして、伝承の一翼を担っている。受け手は、そこに作り手や演者の解釈や意図が少なからず入っていることを、前提として意識する必要がある。その上で、表現物に接することは、戦争を理解する入り口になり得ると心にとどめたい。
 この夏、静岡市内のミニシアターで見た一本のドキュメンタリー映画が記憶に残った。伊勢真一監督が、戦時中にインドネシアで国策映画を手掛けた記録映画編集者の父、伊勢長之助の足跡を追った「いまはむかし―父・ジャワ・幻のフィルム」だ。
 長之助は当時、日本が占領していたインドネシアに「文化戦線」の一員として派遣され、現地の人々を“日本人化”するため、映画作りに携わった。「隣組」「貯金しましょう」「東亜のよい子供」…。長之助たちが作った映画は130本を数え、そのタイトルが性格を物語る。戦後、長之助は佐久間ダム建設を追った作品で日本映画技術賞を受賞したほか、遺作の「森と人の対話」は井川山林が舞台となるなど静岡県との縁もある。
 映画は、多くを語らなかった父の真意に迫ろうとした真一監督の旅の記録だ。プロパガンダに関わった父の戦争責任を、客観的に追及する性格のものではない。「父をいとおしむ気持ちを込めながら、あの戦争の時代の『真実』を描くドキュメンタリーは可能だろうか」という逡[しゅん]巡の[じゅん]中で生まれた。
 上映会場には真一監督も姿を見せ、その自問自答を語った。善悪の二元論に落とし込まず、考えるきっかけを与えてくれる。それが、表現者たちが戦争を伝える意味の大きさではないか。

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