ヒッグス捉えた“目”誇り 浜ホトで開発けん引 山本晃永さん(1969年度卒)【(イ)創造の100年 静岡大浜松②】

 2013年10月。ノーベル物理学賞に「ヒッグス粒子」の存在を提唱したピーター・ヒッグス博士らの受賞が決まった翌日、浜松ホトニクスで専務だった山本晃永さん(76)=静大大学院工学研究科工業化学専攻修了=が浜松市内で記者会見に臨んだ。「新粒子を発見した実験にわれわれの製品が貢献したことは光栄。大勢の物理屋さん(物理学者)の努力に感謝したい」。技術者としての喜びと誇りを、こう語った。

山本晃永さん
山本晃永さん
光半導体素子を取り付けた大型加速器の実験装置(セルン提供)
光半導体素子を取り付けた大型加速器の実験装置(セルン提供)
山本晃永さん
光半導体素子を取り付けた大型加速器の実験装置(セルン提供)

 浜ホトはスイスにある欧州合同原子核研究所(セルン)で、大型加速器を使った実験装置にセンサーを提供した。陽子が衝突して飛び散る無数の粒子からヒッグス粒子を探し出す、いわば“目”。この開発を山本さんが長年、けん引してきた。
 山本さんが光半導体素子の開発を手掛ける固体事業部長に就いたのは1985年。静大で培った根気強さを前面に、世界が注目する実験装置に製品を納めるまでに技術力を高めた。各国の競争相手を横目に、装置に取り付けた大量の素子のほぼ全てを高精度で安定した浜ホト製が占めた。
 最初の東京五輪が開かれた64年、山本さんは静大工学部に入学した。門をたたいたのは半導体とは別分野の工業化学科。「当時、合成繊維は新産業。ものづくりでひと旗挙げようとの雰囲気が満ちていた」と振り返る。コバルト化合物の実験に夢中になり、研究室にこもって生成と分析を地道に繰り返した。修士課程で学部生を指導し始めると、共同開発の面白さに気付いた。
 次に来る産業は何か―。将来を語り合った仲間は化学や薬品大手に就職したが、「大企業は気が乗らなかった」。教員から紹介を受けた浜松テレビ(現浜ホト)を選んだ。
 69年度に卒業し、入社間もない頃、上司から「会社で何をしたいのか」と問われ、とっさに「光半導体」と答えた。実際は、光半導体がどういうものか詳しくは知らなかったが、静大電子工学研究所の友人が「これから必ず伸びる」と力説していた分野だった。
 「静大、浜ホト、光半導体が偶然にもつながった半生だった。今の学生たちには視野を広く持ち、さまざまな技術の組み合わせに目を向けてほしい」。昨年12月に浜ホトを退任した山本さんは、後輩の躍進に期待を寄せる。

 

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