元ホンダ3代目社長 久米是志さん(9月11日死去、90歳) 技術開発で世界企業の礎【追想メモリアル】

 1972年、世界一厳しいと言われた米国の排ガス規制を初めてクリアしたCVCCエンジンを開発し、ホンダが世界企業に成長する礎を築いた。「世のため、人のため、仲間のために仕事をする」との理念を貫いた。

初代NSXのプロトタイプと写る久米是志さん。米国の排ガス規制を初めてクリアしたCVCCエンジンを開発し、ホンダの名を世界にとどろかせた(ホンダ提供)
初代NSXのプロトタイプと写る久米是志さん。米国の排ガス規制を初めてクリアしたCVCCエンジンを開発し、ホンダの名を世界にとどろかせた(ホンダ提供)

 出身の兵庫県から浜松市に移り、浜松北高を経て静岡大工学部機械工学科に進んだ。高校、大学時代をともに過ごし、親交を続けた同市中区の棚橋信昭さん(91)は「口下手であまりしゃべらない。ひらめきを大事にする男」と評する。静大では自動車部に所属し、木炭車をガソリン車に改造して走らせようと夢中だった。アルバイトで二輪の図面を引けば、「あっという間に描き上げる才能があった」(棚橋さん)。
 54年の入社から間もなく、二輪のマン島TTレース(英国)に出場するエンジンの設計を任された。朝から晩まで創業者本田宗一郎の叱咤(しった)激励を受けながら勝てるエンジンを仕上げた。後に、空冷エンジンにこだわった本田に対し、水冷化の利点を主張。会社を休んでまで、理論の正当性を訴えた。
 米国で70年、パスするのは不可能とさえ言われた大気浄化法「マスキー法」が制定されると、エンジンに副燃焼室を設けて汚染物質の排出量を減らすCVCC技術を開発。レース以外でも、ホンダの名を世界にとどろかせた。静大自動車部の同級生で、元スズキ会長の内山久男さん(91)はライバル会社ながら「新しいこと好きで我を通す、彼らしい設計だと感じた。やるな、と思った」と明かす。
 後年は、自衛隊の戦車の砲身が走行中も照準を保つ様子をヒントにジャイロ技術の応用を思いつき、地図型カーナビゲーションシステムの製品化に結びつけた。同社初のミッドシップスポーツカー「NSX」など数々の開発をリードした。
 棚橋さんによると、「ついのすみかは知り合いが多い浜松にするよ」と帰郷。当初は表舞台に出ることを避けていたが、たびたび講演を頼まれた。「新しいものを創造するひらめきは、失敗を繰り返して蓄積した経験から生まれる」。ものづくりに不可欠な精神を地元の後輩に伝授した。

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