長友再び輝け 後輩の集大成にエール 大学で共にプレーした山本さん(藤枝) サッカーW杯カタール大会

 サッカー日本代表で4度目のワールドカップ(W杯)出場となる長友佑都(36)=FC東京=を見守り続ける大学時代の先輩が藤枝市にいる。スポーツ用品店を経営する山本剛さん(38)。「大舞台を楽しむ選手。背中で示してくれるはず」。日本代表出場試合数でトップの遠藤保仁(42)=ジュビロ磐田=に次ぐ歴代2位の138試合まで伸ばした後輩の、集大成となる戦いを心待ちにした。

長友佑都(右)と記念撮影する山本剛さん=2015年夏、イタリア・ミラノ(山本さん提供)
長友佑都(右)と記念撮影する山本剛さん=2015年夏、イタリア・ミラノ(山本さん提供)
明治大時代の長友佑都(12番)と山本剛さん(11番)=2006年10月、千葉市内
明治大時代の長友佑都(12番)と山本剛さん(11番)=2006年10月、千葉市内
長友佑都(右)と記念撮影する山本剛さん=2015年夏、イタリア・ミラノ(山本さん提供)
明治大時代の長友佑都(12番)と山本剛さん(11番)=2006年10月、千葉市内

 長友の飛躍の原点は明治大時代。名門東福岡高から上京した小柄な1年生は平凡な守備的MFだった。秋ごろ、腰痛が原因でプレーできない時期がありサッカー部を辞めようとしていた。掃除などの雑用でもミスばかり。見かねた上級生が注意して、翌日丸刈りにしたこともあった。
 「母子家庭だった長友がサッカー部を辞めるのは、大学を中退することも意味する」。山本さんはそう感じていた。周囲の支えもあり懸命のリハビリを続けた長友は、2年夏から目覚ましい成長を遂げた。当初は拒んでいたサイドバックへ転向すると水を得た魚のように躍動した。「マリオのスター(無敵)状態だった」。当時4年生のFWだった山本さんとともにチームはリーグ戦負けなしで全国大会にも出場した。
 長友はプロに進み、山本さんは大学でプロを断念して社会人となった。2015年夏、2人はイタリア・ミラノで久々に再会した。長友は名門クラブ、インテル・ミラノの主力選手となっていた。スタープレーヤーになっても鼻にかけることなく、大学時代のまま接してくれたのが山本さんはうれしかった。「愛される能力が高い。サポーターを巻き込むのが得意で彼のエネルギーになる」
 年齢から来る衰えを理由にアジア最終予選では「長友不要論」も出たが、プレーで逆境をはねのけた。「肝心なところでの役割、力の発揮の仕方を分かっている」。かわいい後輩がもう一度、世界を驚かせてくれると信じている。

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