60年前の中田島砂丘 記憶を未来へ フィルム見つかり写真集出版 愛知大OB撮影

 浜松市南区の中田島砂丘を60年近く前に撮影したフィルムが見つかり、写真集「輝いていた時代の中田島砂丘 出雲崎漁村」(シンプリ社)としてこのほど、出版された。撮影者は愛知大(豊橋市)在学時に砂丘の風紋に魅了され、足しげく通った元高校教師の中内康博さん(80)=高知県土佐市=。中内さんは「中田島の巨大で美しい姿を歴史に残したい。持続可能な砂丘を考えるきっかけになれば」と思いを語った。

約60年前に中内康博さんが雨上がりに撮影した、中田島砂丘の巨大な風紋
約60年前に中内康博さんが雨上がりに撮影した、中田島砂丘の巨大な風紋
写真集を手にする藤田佳久名誉教授=浜松市
写真集を手にする藤田佳久名誉教授=浜松市
中田島砂丘を撮影した中内康博さん
中田島砂丘を撮影した中内康博さん
約60年前に中内康博さんが雨上がりに撮影した、中田島砂丘の巨大な風紋
写真集を手にする藤田佳久名誉教授=浜松市
中田島砂丘を撮影した中内康博さん

 中田島で1965年に撮った34枚のモノクロ写真と、対比させる意味で2014年撮影のカラー写真を掲載した。かつての砂丘は現在より200メートルほど海側に広がっていて、高さ15メートルを超える砂の丘がいくつも見られた。
 中内さんは学生生活の中で工面して購入したカメラとフィルムを手に、週に1回程度のペースで中田島を訪れたという。特に意識したのが雨の翌日。「誰もいない、誰も足を踏み入れていない自然そのものに近い砂丘の姿を撮りたかった」と振り返った。
 写真集には、同大の藤田佳久名誉教授(地理学)が解説を添えている。藤田名誉教授は天竜川から供給される土砂で中田島砂丘が発達した経緯や、20世紀後半に相次いだダム建設による土砂減少で砂丘の規模が縮小した状況を説明。砂丘の存在が浜松地域の水耕文化に与えた影響などにも言及した。
 その上で「地球規模の環境変化や災害などで増減を繰り返してきた中田島だが、撮影された65年当時はダムの影響を受ける直前で、砂丘は最大規模だったのではないか」との見方を示す。
 写真集ではこのほか、マグニチュード(M)7・5の64年新潟地震の数カ月後に中内さんが撮影した新潟県出雲崎漁村の写真も紹介している。定価1760円。

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