大河で注目「椿姫観音堂」 浜松、創建80年目「功績広めたい」 家康と戦い討ち死に、お田鶴の方まつる

 徳川家康の攻撃を受け、浜松城の前身「引間城(引馬城)」で討ち死にしたとされる「お田鶴[たづ]の方[かた]」をまつる浜松市中区元浜町の「椿姫観音堂」がことし創建80年目を迎える。大河ドラマ「どうする家康」で注目され、年明けからは観光客が絶えない。元浜町自治会の藤野直也会長(78)は「地元以外の人にも功績を知ってもらう機会となれば」と期待している。

節目の年に、決意を新たにする元浜町自治会のメンバー=浜松市中区の椿姫観音堂
節目の年に、決意を新たにする元浜町自治会のメンバー=浜松市中区の椿姫観音堂

 お田鶴は、今川家の重臣だった引間城主・飯尾[いのお]豊前守[ぶぜんのかみ]の妻。夫の死後、城を守った。同自治会によると家康に攻め込まれた際は、緋色(ひいろ)のよろいをまとい、なぎなたを手に戦って侍女とともに壮絶な死を遂げた。現観音堂の北西約5メートルの塚に葬られたという。
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 家康の正室・築山殿は、互いの母親が義理の姉妹だったお田鶴の死を悼み、塚の周りにツバキ100本余を植えたと伝わる。家康は攻略した同城を拡張・改築して、浜松城を築いた。
 塚は区画整理を機に1944年、市街地の一角である現在の地に移され、地元住民らが観音堂を建立した。広さ10平方メートルほどでお堂、鈴、祈願石などがある。11月に追悼供養を行っている。
 昨年まで自治会の女性らが毎日清掃して花を供えていた。世間の関心の高まりを受け、ことしは村松祥司副会長(81)らが観音堂の名前に合わせ、近所の花店や有志の庭先からツバキを入手している。同自治会椿姫観音堂史跡保存会の中野明徳会長(79)は「これからも遺徳をしのび続けたい」と決意を新たにした。

家康がよく分かる 正室・側室/人柄/戦い
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