南海トラフの「半割れ」 数時間から数年後に後発地震も 臨時情報発表、注意促す【語り継ぐ 東南海地震⑦】

 1944年12月、南海トラフ沿いの紀伊半島沖でマグニチュード(M)7・9の規模で発生し、静岡県などを激震が襲った昭和東南海地震。同半島沖では2年後の46年12月、M8・0の昭和南海地震も発生した。気象庁が2019年に導入した南海トラフ地震臨時情報は、南海トラフの東側と西側で大地震が相次いで発生する危険性に備える目的もあるが、県民の理解はまだ深まっていない。昭和東南海地震に詳しい安藤雅孝名古屋大名誉教授に大地震が続発する可能性について聞いた。

南海トラフで「半割れ」が起きた昭和東南海・南海地震などについて説明する安藤雅孝名誉教授=2月上旬、名古屋市
南海トラフで「半割れ」が起きた昭和東南海・南海地震などについて説明する安藤雅孝名誉教授=2月上旬、名古屋市
東海・東南海・南海地震の想定震源域
東海・東南海・南海地震の想定震源域
南海トラフで「半割れ」が起きた昭和東南海・南海地震などについて説明する安藤雅孝名誉教授=2月上旬、名古屋市
東海・東南海・南海地震の想定震源域

 駿河湾から九州東方沖まで延長約700キロにわたる南海トラフの想定震源域では過去、①東側と西側で地震が同時発生したケース(1707年の宝永地震など)②東側と西側でやや時間差を置いて地震が発生した「半割れケース」(1944年の昭和東南海地震と46年の昭和南海地震など)③想定震源域の一部だけで起きた「一部割れケース」(2004年の三重県南東沖の地震など)-といった、さまざまなパターンで地震が起きている。 photo01   東海・東南海・南海地震の想定震源域
 臨時情報は、半割れケースや一部割れケースの地震が起きた場合に後発の大地震が起きる危険性が高まるとして、1~2週間の警戒や注意を促すのが目的。特に南海トラフでM8・0以上のプレート境界型地震(半割れケース)が起きた場合は「臨時情報(巨大地震警戒)」が発表され、大きな津波被害が予想される沿岸部の住民は1週間、浸水想定区域外の親戚や知人宅などへの事前避難を求められる。
 半割れケースの顕著な例としては1854年12月23日の安政東海地震(M8・4)のわずか32時間後、同24日に安政南海地震(同)が発生した。南海トラフではおおむね100~200年ごとに大地震が繰り返し起きているが、安藤名誉教授は「間違いなく半割れケースと言えるのは安政東海・南海地震と昭和東南海・南海地震の二つ。いずれも先に東側で発生した後、西側で起きている」と話す。 photo01
 南海トラフ地震臨時情報の2ケースと市民の防災対応  臨時情報は、西側で地震が先行し東側で後発する可能性も否定していない。西側でM8以上の地震が起きれば、東側である本県の沿岸部住民は事前避難を求められる。「過去、西側で先行したと明言できる半割れケースはなかったはず。ただ、今後も起きないとは言い切れない」という。
 防災上の課題として安藤名誉教授は、昭和南海地震が昭和東南海地震の2年後に起きたことなどを挙げ、「臨時情報の発表から1~2週間無事に過ぎれば安心というわけでは全くない。むしろ後発地震の発生確率は高まっていくとの認識を持ち、日常生活に戻ってほしい」と呼びかける。


 本震37日後にM6.8 三河地震、死者2306人
 昭和東南海地震から37日後の1945年1月13日には、愛知県の三河湾を震源とするマグニチュード(M)6.8の三河地震が起きている。M7.9の昭和東南海地震より地震規模は小さいが、家屋倒壊などで死亡者は2306人と上回った。
 三河地震の震源は昭和東南海地震で活動したとみられる震源域に近く、昭和東南海地震の余震との見方もある。一方、安藤名誉教授は震源が約10キロと浅い活断層による直下型地震だったことから、「昭和東南海地震による応力の変化で発生した誘発地震」と推測する。大地震で刺激され、それまで不活発だった断層が地震を起こした可能性を指摘する。

 昭和東南海地震  1944年12月7日午後1時36分ごろ、紀伊半島東部の熊野灘を震源とし、マグニチュード(M)7.9の規模で発生。県内では袋井市など中東遠地域の一部が現在の基準で震度7相当の揺れに見舞われ、軟弱地盤の地域などで住宅約1万6000戸が全半壊し、295人が死亡した。
 

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