浜松の中村家住宅 家康側室「お万の方」於義丸出産の地 大河で注目 国重文指定50年

 徳川家康の側室「お万の方」が家康次男・於義丸(結城秀康)を産んだ場所である浜松市西区雄踏町宇布見の「中村家住宅」がことし、国指定重要文化財となって50年を迎える。大河ドラマ「どうする家康」を機に観覧の問い合わせが増えていて、関係者は歴史を発信する好機と捉えている。

節目の年を迎え、注目の高まりに期待を寄せる関係者=浜松市西区の中村家住宅
節目の年を迎え、注目の高まりに期待を寄せる関係者=浜松市西区の中村家住宅

 中村家の由緒書(ゆいしょがき)に詳しい郷土史家の嶋竹秋さん(87)=同区=によると、浜松城に勤めていた侍女のお万の方が妊娠した際、家康はわが子と認めなかった。家康家臣の本多重次の計らいで宇布見村代官の中村正吉宅へ移ったお万の方は天正2(1574)年、中村家で於義丸を出産した。胎児を包む膜に葵の紋が付いていて、家康の子と信じられたという。後に家康長男の信康のとりなしで、於義丸は家康と対面できたとされる。
 家康が於義丸を誕生後もすぐに認知しなかった理由については、正室・築山殿の嫉妬を恐れた▽於義丸が双子だったため縁起が悪いと考えた▽戦で多忙だった―などの理由が伝わっているという。於義丸は後に、羽柴(豊臣)秀吉の養子となり、初代福井藩主を務めた。
 昭和48(1973)年に重文に指定された中村家住宅の主屋は寄棟造りのかやぶき平屋建て約240平方メートルで古民家としては規模が大きい。貞享5(1688)年の姿が復元されている。於義丸が生まれた離れは現存していないものの、胎盤やへその緒を埋めた胞衣塚(えなづか)や、家康お手植えと伝わる梅の木が残る。於義丸の出世を願って竜の横たわる姿を表現したという説のある石積みもある。
 管理する浜松市西区まちづくり推進課によると、歴史愛好家やドラマファンからの問い合わせが増えている。案内係の神田尚さん(77)は「浜松城など、市内の他の家康公ゆかりの地とは距離が離れているが、ぜひ立ち寄ってほしい」と力を込める。
 中村家住宅は金、土、日曜と祝日の午前9時半~午後4時半開館。観覧料は一般200円、高校生100円、70歳以上と中学生以下は無料。

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