「ダンスは自由に、ダウン症も個性」 文化守り藤枝で教室 ブレイキン世界制覇唐沢さん

 軽快な音楽に合わせステップを踏むダウン症の若者たち。ブレイキン(ブレイクダンス)で日本人初の世界一になった経歴を持つ唐沢剛史さん(46)=藤枝市=が主宰する教室には障害のある生徒が数多く通っている。「一人一人違っていい。自分を自由に表現して」。10代でひきこもりを経験し、自身もダンスに救われた唐沢さんは温かい目で個性的な生徒たちを見守る。

ダウン症の生徒たちと一緒にステップを踏む唐沢剛史さん(左端)=藤枝市本町の「KARASAWA DANCE CREW PRACTICE AREA」
ダウン症の生徒たちと一緒にステップを踏む唐沢剛史さん(左端)=藤枝市本町の「KARASAWA DANCE CREW PRACTICE AREA」

 中学生から30歳まで、ダウン症の男女15人が壁一面の鏡の前で動きを合わせる。テンションが上がると少し調子外れのタイミングで「ハイ」と大きな声が出る生徒も。練習場内が笑いに包まれる。
 途中で転んだって大丈夫。膝が曲がらない子も一緒に踊り、ハプニングも振り付けに取り入れる。10年以上続けている生徒が多く、唐沢さんと一緒に指導する堀部優樹さん(26)=菊川市=は「純粋に心から楽しんでいる。ダンサーとして見習いたいところがある」と説明する。
 藤枝市と掛川市に練習場があり、数百人を教える中で障害がある生徒は約50人。ダウン症だけでなく知的障害や自閉症の生徒もいる。「みんなに認めてもらい自信がついた。生活も積極的になった」。親の会代表の沢本陽子さん(54)=藤枝市=は24歳になった息子の姿をうれしそうに見つめる。
 都内出身の唐沢さんは高校に入学してまもなく、先天的な頭皮の障害で外に出るのが嫌になった。学校にも行けず、1学期で中退。半年間、自宅の中だけで過ごした。その後、帽子を深くかぶって外出できるようになったが、バイトの面接に行っても「帽子を取ってください」と言われ、逃げ帰った。
 生きる道筋を与えてくれたのが、中学生の頃から好きだったダンス。ある日、仲間に誘われて練習に参加すると、そこでは個々が自由に個性を表現し、誰も「帽子を取れ」と強制しなかった。自分の居場所を見つけた。
 ブレイキンは2024年パリ五輪の実施種目になって注目を集めているが、スポーツ化の進展を懸念する声もある。「差別や争いを否定し、平和と自由を求める文化として発展してきた歴史がある。点数を競うスポーツとしてだけじゃなく、精神性も大切にしていきたい」。文化としてスポーツとして唐沢さんは両面からの普及に尽力する。
 
国体、パリ五輪種目に
 ブレイキンはヒップホップ文化の一つのジャンル。1970年代に米ニューヨークでギャングの抗争をルーツに生まれ、暴力ではなく音楽とダンス対決に特化したのが始まりとされる。
 唐沢さんは1998年に団体戦のW杯に出場して優勝した。2024年のパリ五輪は1対1でダンスを披露し合うバトル形式で行われる。国民スポーツ大会(24年に国民体育大会から改称予定)でも28年からダンススポーツが公開競技になることが決まっている。
 県ダンススポーツ連盟理事でブレイキン部長を務める唐沢さんは選手強化を目的に年4回、有望な若手を集めてワークショップを開き、8月には静岡市でバトルイベントの開催も予定している。

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