⚽スタミナ無尽蔵 ジュビロ磐田DF松原后「チームの中心」へ 左サイドを駆け上がる【しずスポ】

 J2磐田のDF松原后(26)=浜松開誠館高出=がここまでリーグ戦全19試合にほぼフル出場し、替えが利かない左サイドバックとして君臨している。今オフ、J1チームへの移籍か残留かで悩んでいた背番号4。「チームの中心選手でいてほしい」。強化責任者の藤田俊哉スポーツダイレクター(SD)からもらった、この言葉に突き動かされ、毎試合無尽蔵のスタミナで上下動を繰り返す。

磐田―秋田 ゴール前に攻め込む磐田・松原=3日、ヤマハスタジアム(浜松総局・山川侑哉)
磐田―秋田 ゴール前に攻め込む磐田・松原=3日、ヤマハスタジアム(浜松総局・山川侑哉)

下部組織出身の兄貴分
 磐田のJ2降格が決まった2022年シーズンオフ。松原のもとにはJ1チームから複数年契約のオファーが届いていた。日本代表入りを目指すサイドバックにとって、よりレベルが高く目に留まりやすい環境でプレーしたいと思うのは自然な感情。「周りからは絶対移籍した方がいいと言われた。オファーも魅力的だった」。だが、出した結論は磐田への残留だった。
 藤田SDとはクラブの将来像について膝をつき合わせて話した。黄金期を支えたレジェンドから出たのは「J1で優勝する」「アジアチャンピオンズリーグ(ACL)に出る」という高い目標。「自分の野心と重なる部分がある」。心が揺れ動いた時期に、自分が必要だと言ってもらえたのがうれしかった。
 昨年7月、ベルギー1部シントトロイデンから磐田への移籍も予想外だった。磐田の下部組織出身で地元のチームだったが、高校卒業後は清水へ。だがいつかはヤマハスタジアムでプレーしたいと心の片隅で思っていた。オファーが来た時は素直に喜んだ。「移籍するならこのタイミングしかない」と腹を決めた。
 3季在籍したベルギーでは出番に恵まれず精神的に苦しんだ。チームにはシュミットダニエルや林大地ら複数の日本人選手がいた。話し相手がいる安心感はあったが「試合に出られないと、逆に劣等感しかなかった」。
 海外を目指す磐田の若手には、自らの経験を惜しみなく伝えている。海外志向が強い18歳のFW後藤啓介には特に強い口調で言う。「まずはこのクラブで常に結果を出すこと。海外はもっと厳しい」。若手に慕われる兄貴分は、磐田のJ1復帰へ大きな役割を担う。

 まつばら・こう 1996年8月30日、浜松市中区出身。ジュビロ磐田ジュニアユース、浜松開誠館高を経て2015年に当時J1清水に入団し19年まで主力として活躍。20年にベルギー1部シントトロイデン入りし3シーズン海外でプレー。22年7月、当時J1磐田に完全移籍で加わり8試合に出場した。

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