徳川十六将図 なぜこの顔触れ?なぜ16人?何のための絵図?【徳川十六神将③】

菊地浩之氏
菊地浩之氏

  徳川家康の有力家臣を描いた「徳川十六将図」。
 「徳川十六将 伝説と実態」(角川新書)の著者で系図研究家の菊地浩之さん(60)に、十六将図の目的や傾向について聞いた。
 -いつ、何のために作られたのか。
 「徳川十六将図とは、徳川家康と、16人の家臣を選んで描いた絵図だ。江戸時代に掛け軸や版画で広まった。1600年代の前半の作とみられる作品もあり、江戸開府に功績のあった祖先の顕彰が目的で制作されたとみられる。衣装、配置とも複数の形態がある。甲冑(かっちゅう)姿もあれば直垂(ひたたれ)姿もあり、配置も武将を縦2~3列に並べた作品の他、横に円形型に並べた作品も。全国に何点あるのか正確な数は不明。1年半の間で、書籍やインターネットオークションで60点以上を確認した。それより多くの数が存在していると思われる」
 -十六将の顔触れとは。
 「実は絵図によって若干異なる。ただ、氏名の記載のある十六将図のうち、85%にあたる29点は以下の武将で構成されていた。
 酒井忠次、榊原康政、本多忠勝、井伊直政、鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉、松平甚太郎康忠、内藤正成、高木清秀、大久保忠佐、渡辺守綱、鳥居忠広、服部半蔵正成、米津常春、蜂屋貞次
 恐らく原本のようなものがあり、それを書き写しているうちに『他の武将と入れ替えよう』『16人では足りないから20人にしよう』という風に種類が増えていったものと考えられる」
 -どんな基準で選ばれたのか。またなぜ16人なのか。
 「そもそも、誰が原本を作ったのか不明だ。徳川家臣を知名度や貢献度から選ぶと、鳥居忠広、米津常春、蜂屋貞次などは選ばれない。彼らの共通点は、十六将の一人・渡辺守綱の戦友だったこと。恐らく守綱かその関係者が原本を作成したのではないか。
 16人である理由は、仏教の経典を守護する『十六善神』にあやかったと考えられる。このほか『徳川二十将図』もあり、他家では『武田二十四将図』『黒田二十四騎図』なども知られている」
 -石川数正や本多正信が描かれた武将図はあるか。
 「極めて少数だ。石川数正は久能山東照宮所蔵の1例、本多正信は静岡市歴史博物館所蔵の二十将図でしか見たことがない。渡辺守綱が彼らを嫌っていたのではないか」
 -二十将図と十六将図の違いは。
 「二十将は単純に16+4将でなく、若干武将が入れ替わっている。追加された武将の多くは紀伊徳川家臣の先祖で、紀州藩仕様だと考えられる。正信の子孫は紀州藩に採用されていないが、武将再考の過程でより適切な人材として選ばれたと思われる」

 きくち・ひろゆき 1963年、札幌市生まれ。経済学博士号を持つソフトウエア技術者。徳川関連の著作に「徳川家臣団の謎」(角川選書)、「徳川家臣団の系図」(角川新書)などがある。

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