生涯修行の覚悟を貫く 書家/柿下木冠さん(10月4日死去 83歳)【追想メモリアル】

 現代書とは、現代社会にみずみずしく呼吸する現代造形の一環だ。「いろんなものをそぎ落とし、『白』から書作を見る」。墨だまりが乾くにじみも、また息吹。書線に納得いかなければ、ただ始末するだけ。

時代を映す造形美として現代書に向き合い続けた柿下木冠さん=5月、静岡市駿河区(写真部・坂本豊)
時代を映す造形美として現代書に向き合い続けた柿下木冠さん=5月、静岡市駿河区(写真部・坂本豊)

 中川根町(現川根本町)文沢の生まれ。林業をなりわいとする5軒の小さな集落は、眼下に大井川、遠景に赤石の山並みを望んだ。
 高校進学で静岡市の叔母の嫁ぎ先に下宿。山深い郷里の四季や五感を通じて浴びた原風景は、墨線造形の発露であり、「作家の生命そのもの」。すなわち、素材として反映された。
 静岡市立商高(現駿河総合高)で書家の教員石川清流氏(後に県書道連盟会長)と出会い、県高校学生書道研究会で生涯の師となる静岡市立高教員の山崎大抱氏(後に日展評議員)ら、新しい書作の道を切り開く気概と新しい芽を育てる熱意にあふれ、書檀で活躍する各校顧問の講評を受けた。
 高校を卒業し、山崎氏門下となって2年。氏と高知県の同郷人で同志でもあった手島右卿氏の師事も勧められ入門した。後に文化功労者に選ばれる手島氏は、洋画家を志した頃があり、絵画性や造形性に優れた。
 少字数書(象書)の提唱者であった手島氏と、豪快な大作主義でその具現者となった山崎氏。古典を学んだ上の、新感覚による書画一体の世界。「まるで山崎・手島書道大学に入ったよう。嵐の中で書いている感じだった」
 準備と計算、それを超えた筆の働き。一字書を中心に、書のリズムと造形を通じたアートを目指した。時事性と世界的な視野に立って、今「何を書くか」という命題に向き合い続けた。
 40歳で門人組織の「一基会」を興して後進の育成に務め、自らの人生観を込めた創作を国内外に示した。
 後年は、中間墨的な書作に本質を求めた。死を前提に自らを見つめ、「死を習う」と表した。一基会ホームページの巻頭言は、「書の行者となって」。今を生きる心象を筆墨に託し、生涯修行の覚悟を貫いた。
 (教育文化部・掛井一也)

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