袴田さん出廷免除 本人なき公判 重い意味【最後の砦 刑事司法と再審⑰/第4章 我れ敗くることなし⑤完】

 袴田巌さんは確定死刑囚として過ごした東京拘置所で、日付と天気から始まる日記を書き、三つ折りにして家族に送っていた。姉ひで子さん(90)は「日にちを忘れちゃいかん、ということだろう」と代弁する。

袴田巌さんからの手紙を読み返す姉ひで子さん。「最初は悪筆だったけれど、だんだんうまくなった。特に母親が手紙を楽しみにしていた」=6日、浜松市内
袴田巌さんからの手紙を読み返す姉ひで子さん。「最初は悪筆だったけれど、だんだんうまくなった。特に母親が手紙を楽しみにしていた」=6日、浜松市内

 1980年代の後半から文面に「電波」や「悪魔」といった単語がたびたび見られるようになり、字体が崩れていった。89年2月7日付では余白に〈右手から電波が入りますと右歯が痛いように感じ、左手から電波が入りますと左歯が痛いように感じます〉と、わざわざ赤ペンで書いている。
 ひで子さんは「死刑が確定するまでは大変に元気だった。確定して死刑囚がいる房に行くでしょ。そしたら、面会しても『電気ガスを出すやつがいる』とか、だんだんおかしくなった」と弟の変化を思い返す。袴田さんが「きのう処刑があった。隣の人だった」と畳みかけるように話しかけてきたこともあった。「死刑というものを、実感したのだと思う」と受け止める。
 用件を伝えてくる時を除けば、獄中からの手紙は91年以降、届かなくなった。
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 裁判長「年齢は」
 袴田さん「23歳」
 裁判長「こがねみそ事件の裁判覚えていますか」
 袴田さん「覚えている。無罪になっちゃった」
 2023年9月29日、静岡地裁浜松支部。再審公判を担当する地裁の国井恒志裁判長ら裁判官3人が出向き、14年に釈放されてから浜松市内で暮らす袴田さんと面会した。出廷免除の可否を判断するためだった。
 弁護団が地裁に提出している精神科医の診断書によると、袴田さんは拘禁反応により「裁判の存在を否定し、裁判や事件のことを聞いてもかみ合った答えが返ってくることは一切ない」という。医師は心神喪失の状態にあると判断し、公判に出廷できるかどうかの範囲で考えれば「回復の見込みはない」と結論づけた。
 袴田さんに「お姉さんはどんな存在か」と取材で尋ねれば、「こき使うわけにもいかない」と意味が通っているとも取れる答えが返ってくることはある。それでも現実は、妄想の世界を生きることで死の恐怖から逃れてきた拘置所当時と変わらない精神状態に映る。
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 袴田さんは誰よりも再審公判を望んできたが、地裁は弁護団の求め通り出廷免除を決めた。本人が法廷に不在となる事実自体が、重い意味を内包している。過去には、死後になって再審が認められた「死後再審」の例もある。無実を訴えている人の救済制度として果たして機能しているのか、司法に疑問を突き付ける。
 ひで子さんは袴田さんの再審公判で、補佐人として意見を陳述する。「言うことはもう決まっている。ややこしいことは言わん」。弟が取調室で、法廷で、獄中で必死に叫んできた膨大な言葉がある。姉として、ぶつけたい思いは十分に理解しているつもりだ。「余計なことはいいの。要は、巌に代わって『無実だ』ってことを言えばいい」
 (「最後の砦」取材班)

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