天下人・徳川家康 多種多様な肖像画 耳たぶ、下顎に共通点 生前しのばせる「白描」
天下人・徳川家康の肖像は美術品として現在も数多く残る。同じ人物を表現しているのに、見比べてみると容貌は実に多種多様だ。本当はどんな顔つきだったのか。なぜこんなにバリエーションが豊かなのか。権力者の肖像に詳しい静岡県富士山世界遺産センターの松島仁教授(55)に聞いた。
あまたある肖像の中で、生前の姿に似ていると考えられているのは徳川記念財団蔵の「東照大権現像(白描)」だ。細緻な容貌と簡素な衣服という描写の特徴から、供養用の肖像画の下絵とみられる。
歴代徳川将軍の供養用肖像画は、生前に将軍のそばに仕えた画家が顔つきを克明に再現した下絵を描き、幕府の要人に提出してお伺いを立て、霊廟[れいびょう]に納める完成画を描く―という手順で進められた。下絵は本人と似ていることが重視され、“神”でなく“人”としての家康が描かれたと考えられる。
大きな耳たぶ、えらの張った下顎は多くの肖像画と共通する。一方、額が浅く、頬骨は張り、深いしわが幾重にも刻まれている点はこの肖像ならではの特徴だ。
天下人の供養用肖像画はそれまで、日本絵画の流派「狩野派」の宗家が請け負っていた。家康像は当時幼かった宗家当主の貞信に代わり、叔父の狩野孝信が手がけた可能性がある。制作は死と近い時期だったのではないか。
ただ、当時の肖像画は本人を見ながらでなく、以前に見た姿を思い出して描いていた。そのため、最晩年の姿と推定されるが、具体的に何歳の容貌なのかは特定できない。
この肖像との数少ない類似作品は、静岡市葵区にある家康側室の於愛の方の菩提[ぼだい]寺「宝台院」蔵の「東照公御真筆御影像」。寺には家康63歳時の像と伝わる。表情や衣服に細かな差異はあるが、容貌の特徴は共通している。
(聞き手=教育文化部・鈴木美晴)
各社会集団の願望表出 家康の肖像には複数の系統が見て取れる。制作側の各社会集団が自らと家康との距離の近さを示すため、肖像画を重要なツールとして利用したためだ。
一つは家康没後の祭祀[さいし]を主導した、僧侶の南光坊天海が創出した礼拝用の像「深秘[じんぴ]の像」。宮殿[くうでん]の中にふくよかな家康を描き、神としての姿を表現している。県内では久能山東照宮博物館蔵「東照大権現像 天海僧正賛写」などが見られる。
家康の孫で3代将軍の家光が、一体化を願って夢で思い焦がれた家康の姿を写させた「霊夢像」も系統の一つ。浜松市博物館蔵「徳川十六将図」をはじめ、各大名家が家康との関わりを明示したとみられる「家康家臣団図」では、それぞれの画風で家康が描かれている。
珍しい例は“町人風”と表現される久能山東照宮博物館蔵の「徳川家康像」。生前の姿を描いたとの説もあり、他の系統とは異なる容貌をしている。各種の合戦図でもさまざまな描き方がされている。
※画像はいずれも作品の部分
松島仁さん
まつしま・じん 1968年、東京都生まれ。専門は美術史。徳川記念財団特別研究員も務める。主な著書に「権力の肖像 狩野派絵画と天下人」(ブリュッケ)、共著に「徳川家康 その政治と文化・芸能」(宮帯出版)。