「忠臣蔵」しのび茶会 ゆかりの茶道宗徧流 静岡市葵区

 歌舞伎や浄瑠璃の「忠臣蔵」として語り継がれる江戸中期の赤穂浪士討ち入り決行日の14日、茶道宗徧(そうへん)流門人会が、ゆかりの人物をしのぶ「義士茶会」を静岡市葵区の浮月楼で開いた。

趣向を凝らした「義士茶会」=静岡市葵区の浮月楼
趣向を凝らした「義士茶会」=静岡市葵区の浮月楼

 元禄14(1701)年3月、播磨赤穂城主の浅野長矩(ながのり)が儀礼担当の旗本の吉良義央(よしなか)を江戸城で斬りつけ、切腹処分となった。一説には、浅野の狼藉(ろうぜき)の動機は儀礼時の吉良の指示不足が原因という。切腹となった主君のあだ討ちをしようと、浅野の遺臣が翌年12月14日、邸宅に討ち入って吉良を殺害した。
 宗徧流流祖の山田宗徧は吉良と交流があり、門弟には赤穂浪士がいた。討ち入りの場面にも居合わせた縁から、宗徧流門人会は毎年12月14日に両者を追善する義士茶会を各地で開いている。
 茶会では十一世の山田宗徧さんが席主を務める濃茶(こいちゃ)席のほか、薄茶席と力囲(りきい)席(立礼席)を設けた。北海道から鹿児島まで全国から約420人が訪れ、討ち入り決行日の雪をイメージした和菓子、赤穂浪士が所持していた茶道具、流祖作の花入れなど、趣向を凝らした茶席で茶を味わった。

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