家康が眠るのは久能山?日光? 遺体の場所、いまだ決着つかず

 徳川家康の遺体は日光東照宮(栃木県日光市)にあるのか、久能山東照宮(静岡市駿河区)にあるのか―。関係者の間で現在も意見が分かれている。死後に神格化された家康の墓の内部調査は難しく、決着の見通しは立っていない。

神柩行列の後に巨大な宝塔が造られた神廟の前に立つ落合偉洲名誉宮司=12月中旬、静岡市駿河区の久能山東照宮
神柩行列の後に巨大な宝塔が造られた神廟の前に立つ落合偉洲名誉宮司=12月中旬、静岡市駿河区の久能山東照宮

 「遺体は久能山に納め、江戸の増上寺で葬礼を行い、三河の大樹寺に位牌(いはい)を置き、一周忌の後に日光山に小さな堂を建て勧請せよ」
 江戸幕府の公式記録とされる史料「徳川実紀」によると、家康はこのように遺言した。元和2(1616)年4月17日に死去し、久能山に葬られた。翌3(17)年3月に神柩(しんきゅう)が久能山を出発し、4月に日光山に到着した。
 日光東照宮は「ご遺体は日光東照宮の奥宮宝塔に眠っている」と説明している。主な根拠の一つとして挙げる同史料には「日光山改葬」と書かれている。家康死後の祭祀(さいし)を主導した僧侶の南光坊天海について「天海自鋤鍬をとりて其事を行ふ」と、土を掘り返したと読める記述もある。
 このほか、神柩行列に同行した歌人の烏丸光広が記した「御鎮座之記」の「尊躰(そんたい)を日光山へ移し奉ること」との記述をはじめ、遺体が日光へ移ったとする史料は複数ある。
 一方、久能山東照宮の落合偉洲名誉宮司(76)は「ご遺体は久能山東照宮の神廟に眠っている」と異論を唱える。改葬を示す諸史料は「関東で力を伸ばしたい天海が強弁したもの」と信ぴょう性が低いと見る。
 土葬とみられる遺体の1年後の掘り起こしが可能だったかと疑問を投げかけた上で、同東照宮に残る天海作とされる和歌にも着目。「『くのなき神の宮遷し』は『躯(く)』がないという意味。つまり神柩には遺体はなく、神様の魂を映した鏡をのせていた」と主張する。
 真偽を確かめるには墓所の調査が必要だが、それについては両東照宮とも否定的な見方を示し、真相は依然謎に包まれている。
 (教育文化部・鈴木美晴)

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