「遺跡」縁に日韓交流を 静岡市・登呂と韓国・松菊里 研究者来静

 連携に向けた準備が着々と進んでいる、弥生時代を代表する国指定特別史跡「登呂遺跡」(静岡市駿河区)と韓国の青銅器時代中期を象徴する「松菊里[ソングンニ]遺跡」(忠清南道扶余郡)。今月19、20の両日には松菊里を研究する韓国の研究者が来静し、本県側の研究者や学芸員と2024年3月に同市で開催する国際シンポジウムの詳細や今後の連携内容について協議した。関係者は両遺跡の縁を研究にとどまらず観光や国際交流にも発展させたい狙いだ。

諸説ある稲作の伝来ルートと登呂遺跡・韓国・松菊里遺跡の位置関係
諸説ある稲作の伝来ルートと登呂遺跡・韓国・松菊里遺跡の位置関係
登呂遺跡を訪れ国際シンポジウムについて打ち合わせる李基星教授(右)と篠原和大教授(中央)、梶山倫裕さん=静岡市駿河区
登呂遺跡を訪れ国際シンポジウムについて打ち合わせる李基星教授(右)と篠原和大教授(中央)、梶山倫裕さん=静岡市駿河区
諸説ある稲作の伝来ルートと登呂遺跡・韓国・松菊里遺跡の位置関係
登呂遺跡を訪れ国際シンポジウムについて打ち合わせる李基星教授(右)と篠原和大教授(中央)、梶山倫裕さん=静岡市駿河区


 「当時のムラの様子が一目で分かってとても良いですね」。19日、登呂遺跡を訪れた韓国伝統文化大学校融合考古学科の李基星[イキソン]教授(53)は、復元された住居や水田の周りを歩きながらそう話した。市立登呂博物館では隅々まで展示物を見学し、出土した木製品や水田跡などについて熱心に学芸員に尋ねた。
 登呂遺跡に詳しい静岡大の篠原和大教授(56)によると、両遺跡とも農耕を営んでいたとされる遺跡だが、登呂の大きな特徴である水田跡が松菊里では見つかっていないことや、松菊里にみられる階級社会が登呂には見られないなど違いも多いという。
 日本では弥生時代の農耕文化の中心は稲作と考えられてきたが、畑作もよく営まれていたことが近年分かってきた。農耕文化そのものも地域によって異なるなど、その実態はまだはっきりとは定まっていないという。稲作は韓半島(朝鮮半島)を経由する「華北ルート」で日本にもたらされたと考える篠原教授は、「登呂と松菊里を比較することで明らかになることがある」と期待する。
 李教授は「登呂遺跡のように水田と住居の両方が見つかっている遺跡は、韓国でも数少ない。両遺跡を比較し、東アジアにおける稲作農耕の拡散過程や地域ごとの特徴を解明したい」と意気込む。
 80年前に発見され日本考古学の金字塔ともうたわれた登呂遺跡。その後、吉野ケ里遺跡の発見など弥生時代の研究が進み、登呂だけで弥生を語れなくなって久しい。教科書への記載も減り、1999年から行った再発掘調査以降、大きな成果が生まれていないなど課題も抱える。同博物館学芸員の梶山倫裕さん(46)は「登呂遺跡の国際的な存在感を高め、最終的には日韓の住民同士の交流にもつながったらうれしい。シンポジウムをそのキックオフとしたい」と夢を描く。
 (社会部・五十嵐美央)

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