時論(2月11日)障害の前に伝えるべきこと

 取材で知り合い、お付き合いさせていただいている三島市在住の和太鼓奏者片岡亮太さんは毎月、近況報告を交えたニュースレターをメールで送ってくれる。最新号には「障害アフター運動」と題するコラムが添えられていた。
 片岡さんは10歳の時に網膜剝離で視力を失った。マスコミなどでは「全盲の和太鼓奏者」と紹介されることが多い。私もこれまで片岡さんを取り上げる時、特に意識することなくそう書いてきた。
 コラムでは、演奏者であることの前に、「全盲の」と障害者であることが真っ先に伝えられることへの違和感がつづられていた。自分が能動的に手にした肩書よりも、付帯的状況が先に語られてしまう。そんな「長年の歯がゆさ」を解消するための一つの答えと考えるのが「和太鼓奏者で全盲の片岡亮太さん」という表現だ。
 この「順番」の違いは大きい。「先に言うべきは、その人が自らの選択と行動によって得た立場や職業、肩書であり、障害はそれより前に出るほど大切なことではない」。片岡さんはこの考え方を「障害アフター運動」と名付け、今後実践していきたいという。
 はっとさせられ、自らを省みた。片岡さんのことに限らず、同様の状況で「記事は簡潔で分かりやすく」という意識の下、当事者にとって大事なものをないがしろにしてきたのではないのか。読者の対象への視点を、狭め、固定させてしまったかもしれない。
 片岡さんの提唱する運動は「障害者である前に一人の人間」という考え方に通じる。一人の人間として自己を実現するために何をやっているのかに焦点を当て、伝えることができる文章表現の大切さを、今回、教えられた。
(論説委員・川内十郎)

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