戦地の辛苦…手記は語る 焼津の高3生、曽祖父の遺品活用を模索 継承は全国的課題【NEXT特捜隊】

 「自宅に曽祖父による戦争体験の手記があります。戦争体験者が減る中、家庭内だけにとどめておくのはもったいなく感じます」―。読者の困り事や疑問をもとに調査する静岡新聞社「NEXT特捜隊」に静岡高3年の法月映鈴音(えりん)さん(18)=焼津市=が声を寄せてくれた。早速法月さんを訪ね、曽祖父の故河村利一さん=享年102歳=の手記を見せてもらった。

手記を読み返す法月映鈴音さん(右)と母親の周子さん=7月30日、焼津市内
手記を読み返す法月映鈴音さん(右)と母親の周子さん=7月30日、焼津市内

 「腐乱した死体が浮びその上を橋代りにして渡つたことも度々だった」「戦友が疲れの為に落伍して行くけれども何一つ手当てしてやる事すら出来なかった悲しさ」(原文のまま)
 手記は便箋12枚。当時、初倉(現・島田市)に住み、豊橋市が拠点の歩兵第十八連隊に所属していた利一さん。中国の南京などでの激戦、一度帰国した後での中国への再出征、砲弾の雨と飢餓に苦しんだ戦地生活―。1937~46年、日中戦争に染められた20代の青春時代が記録されていた。
 手記が書かれたのは約40年前。当時中学生だった法月さんの母親の「戦争体験を聞く」という宿題のために、利一さんがつづってくれたのだという。
 法月さんは数年前、自宅の本棚に眠っていた手記を偶然見つけた。「教科書の『戦争はだめ』という文章より、身近な人の手記は胸に刺さる」
 手記そのものは手元に置いておきたいが、戦争を知らない世代に中身を読んでほしい。それが法月さんの希望だ。どんな方法が考えられるか。法月さんの了解を得て手記のコピーを手に、静岡市葵区の静岡平和資料センターを運営する「静岡平和資料館をつくる会」事務局長の土居和江さん(75)を訪ねた。
 手記の内容を確認した土居さんは「戦争体験が形として残っている貴重な資料です」と話した。展示や今後製作する手記集への採録などの活用が考えられるという。
 ただ、同センターは静岡市に本部を置いた「歩兵第三十四連隊」や静岡空襲の記憶継承が活動の中心。土居さんは「豊橋の歩兵をメインにした場で公開した方がこの手記の価値が生かせると思う」と助言してくれた。
 これに対し、「若い世代に見てもらうにはインターネットでの公開が良いと思う」と法月さん。提案を受けて県内と豊橋市内の文化施設や行政に尋ねてみたが、豊橋の歩兵をクローズアップして手記をオンライン公開している場所は見つけられなかった。
 法月さんに再度、報告した。「自分でウェブサイトを作ってみようかな」。来春の大学受験が落ち着いたところで改めて考えてみるつもりだという。

 ■継承方法に課題
 戦争遺品の継承は全国的な課題だ。法月さんのように、自宅で戦争遺品を見つけたらどうすれば良いのか。
 県内の文化施設や行政の担当部署に聞いてみたところ、地域に縁があり歴史的価値がある物であれば寄贈を受け入れるという回答が多かった。ただ、担当者からは「収蔵スペースが限界に近く、積極的には受け入れていない」「保管するだけで活用できていない」などの声も聞かれた。
 県立大の森山優教授(日本近現代史)は「普通の人が見て価値がない物と思っても、歴史的に価値がある場合もある」と説明。「戦争体験者が減りつつある現状に鑑み、誰がどう保存するのか多くの人で議論すべき」と主張する。

 <メモ>歩兵第十八連隊 1884年に名古屋で新設。吉田城址(豊橋公園周辺)に兵舎の建設が進められ、拠点を豊橋に移した。徴兵区は、設立当時は東海地方一円だったが、間もなく三河・遠江となった。日中戦争など近代の主要な戦争の多くへ出動した。

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