【追想メモリアル】世界的指揮者 小澤征爾(おざわせいじ)さん(2月6日死去 88歳)音楽に国境ないと証明

 渾身(こんしん)の指揮は、オーケストラを音楽に没入させる力があった。込み上げる情感、音にみなぎる熱量は格別だった。「その場にいるだけで音が変わる」。共演者たちの証言も、すごみを物語る。

「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」の合宿地、長野県山ノ内町の中学校で指揮をする小澤征爾さん。子どもたちにクラシックの楽しさを伝える音楽会も大切にしていた=2013年7月
「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」の合宿地、長野県山ノ内町の中学校で指揮をする小澤征爾さん。子どもたちにクラシックの楽しさを伝える音楽会も大切にしていた=2013年7月

 一方で、人柄は飾らず自然体。奏者たちと談笑しながら指揮台に向かうこともよくあった。名チェリストの原田禎夫さんは「指揮者でございってタイプじゃない。音楽の作り方も人間もでかいんだよね」と振り返る。
 旧満州(現中国東北部)生まれ。桐朋学園で斎藤秀雄に学び、23歳で渡欧、巨匠カラヤンやバーンスタインにも師事。早朝5時から楽譜を読み込んだ。2002年ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを日本人で初めて指揮した。最高峰で活躍、「世界のオザワ」と呼ばれた人生で音楽に国境はないと証明した。
 スポーツ好きで、中学時代にラグビーでけがをしたのを機に目標をピアニストから指揮者に変えた話を「指揮は、骨折してもできるから」と笑って明かした。「ラグビーはオケに似ている。互いに補い合い、誰かが窮地に追い込まれても必ず仲間が助ける。音楽も同じなんだ」。力を合わせることで、奏者それぞれの技量をはるかに超えるクオリティーを目指した。
 音楽塾や室内楽アカデミーを主宰し、後進育成にも尽力。歴代の受講生に一貫して求めたのは「自分の音楽を出すこと」。「あんたどう思う?」と問い、考えさせ、「もっとできる!」とハッパをかけた教え子たちは今、国内外で活躍する。
 多忙でも、中学時代に仲間とつくった合唱団のクリスマスコンサートに駆けつけるなど、音楽でつながった関係を大切にした。小澤さんの指揮で「きよしこの夜」を会場にいる全員で歌った時の、あの温かな感動は忘れられない。

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