時論(7月24日)登呂遺跡の「特別」いろいろ

 弥生時代後期の農村集落である登呂遺跡(静岡市駿河区)は今年11月、「特別史跡」指定70年を迎える。
 遺跡のうち重要なものが史跡に、そのうち「学術上の価値が特に高く、我が国文化の象徴たるもの」が特別史跡に指定される。史跡は現在1872件あり、63件が特別史跡である。
 縄文時代は狩猟社会、弥生時代は農耕社会と習った。これに工業社会、情報社会と続き、今は第5の「ソサエティー5・0」を目指すと政府。「経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」とか。扉は重いようだ。
 登呂遺跡は戦時中に発見され、終戦後の1947年から発掘調査が行われた。敗戦の混迷の中で国民に希望と勇気を与え、神話から科学へ、古代史の転換点としても「特別」な存在だ。
 「平和で素朴な米作りの村」で定着した弥生時代のイメージは、89年の吉野ケ里遺跡(佐賀県)発見などで影が薄くなった。柵と溝で囲まれた広大な遺跡は「クニ」への移行期とされる。巨大な建物跡や墳丘をもつ大きな墓が出土し、頭部のない人骨も見つかった。農耕社会は争いと格差を生んだ。
 登呂遺跡は99~2003年に再発掘調査が行われた。10年には登呂博物館が参加体験重視にリニューアルした。
 一般向け書籍が豊富なことも登呂遺跡の特別さに数えられよう。再発掘を特集した冊子にこんな記述がある。「出土資料は何も語らない。しかしひとたび問いかけると、彼らは雄弁に語り始める」。博物館は今年開館50年。遺物と語り、学ぶ手助けを期待したい。
 向き合えば、登呂遺跡から「特別」がいろいろ見つかる。2千年の昔を「知ってどうする」ではなく、人間中心の社会へ「知らずしてどうする」だろう。

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