100年前の絵の作者は? 「記念帖プロジェクト」手掛かり判明

 約100年前に日本の子どもたちが手掛けてイタリアに贈られた絵や書の作者を探す「記念帖(ちょう)1920プロジェクト」のメンバーで、同国在住のグラフィックデザイナー錦戸春海さん(45)=河津町出身=がこのほど帰国し、プロジェクトに協力する伊豆市の関係者と情報交換した。静岡県内に住んでいたとみられる作者の新たな手掛かりが判明し、錦戸さんは「作者の親族や関係者の情報が見つかれば」と協力を求めている。

記念帖の作者に関する情報を共有する(右から)坪内さん、錦戸さん、飯田さん=伊豆市
記念帖の作者に関する情報を共有する(右から)坪内さん、錦戸さん、飯田さん=伊豆市
小林ゆう子さんが描いた富士山の絵
小林ゆう子さんが描いた富士山の絵
記念帖の作者に関する情報を共有する(右から)坪内さん、錦戸さん、飯田さん=伊豆市
小林ゆう子さんが描いた富士山の絵

 166点の作品が記念帖としてまとめて贈られた。その中に、当時、東京都千代田区の番町小に通っていたとみられる浅山ゆう子さん(旧姓小林)の富士山の絵も収められていた。同校の同窓会関係者による卒業生記録の調査で、浅山ゆう子さんは現在の伊豆市にあった持越学校住宅に住んでいたとの情報があった。
 しかし、錦戸さんの姉飯田寿枝さん(47)=河津町=から調査への協力依頼を受けた元小学校長坪内逸夫さん(60)=伊豆市=が資料や記録を調べたところ、持越学校住宅に住んでいたのは浅山ゆう子さんの番町小の同級生だった浅山久子さん(旧姓松下)と判明した。卒業生の記録を作る際に2人の住所が入れ替わるミスがあったとみられ、久子さんの住所とされていた三島市清住町がゆう子さんの居住地だった可能性が出てきた。
 錦戸さん、飯田さん、坪内さんの3人がこのほど、伊豆市で情報を共有し、今後の方針を話し合った。坪内さんが三島市清住町を訪れて住民と話したところ、過去に浅山さんという女性が住んでいた記憶があるとの証言を得たという。
 錦戸さんは「協力してもらいありがたい。記念帖の『里帰り展』を開催するときに関係者を招待したいので、多くの人に知ってもらいたい」と期待した。
 (大仁支局・小沢佑太郎)
<メモ>記念帖1920プロジェクト 1920年に4人のイタリア人飛行士が世界で初めてヨーロッパと日本を空路でつないだ「ローマ東京間飛行」をたたえて大正天皇の妃、貞明皇后の意向で日本の子どもたちの絵や書計166作品を集めた記念帖が2冊制作され、飛行士に贈られた。記念帖の存在を知った同国在住の画家道原聡さん(63)が現物を発見し、2020年にプロジェクトを立ち上げて関係者を探し始めた。ホームページで作品や作者名、学校名を公開し、情報提供を呼び掛けている。

 

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