大好きな絵諦め 竹やり握った少年時代 自由に描ける世続いて 浜松の伊藤さん、最初で最後の個展【しずおか戦後77年】

 60歳を過ぎて絵筆を握った91歳の愛好家が「最初で最後」だという油彩画展を、浜松市浜北区の県立森林公園ビジターセンター「バードピア浜北」で実現させた。同区の伊藤清さん。「子どもの頃からずっと絵が好きだった」が、第2次大戦中は絵筆でなく竹やりを持たされ、敵兵を倒す訓練に明け暮れた。郷里や旅先の風景を穏やかな筆致で表現した作品には、自由に絵が描ける平和への切なる思いが込められている。

描いた風景画を見つめる伊藤清さん。「絵を楽しめる時代がいつまでも続いてほしい」と願う=12日、浜松市浜北区の県立森林公園バードピア浜北
描いた風景画を見つめる伊藤清さん。「絵を楽しめる時代がいつまでも続いてほしい」と願う=12日、浜松市浜北区の県立森林公園バードピア浜北

 高架下からのぞく朝焼けに染まった空、広がる茶畑の向こうの稜線(りょうせん)、しだれ桜の薄桃色をほんのりと映す川。会場に約20点が並ぶ。いずれも伊藤さんが60歳を過ぎて本格的に絵画を学んだ成果だ。
 伊藤さんは「いまで言う中学に入ったころは美術部どころか、教科書すら1冊もなかった」と振り返る。勉強もさせてもらえず、軍需工場の用地造成作業が来る日も来る日も続いた。運動場を畑にする掘り起こし、山の開墾もしなければならなかった。1945年、14歳になるとわら人形を敵に見立て「突撃」の命令に従って竹やりで突く訓練をさせられた。周囲からは「米軍が浜松に上陸すれば、諸君は軍へ入隊する」と言い含められた。
 教師に言われ米軍機を描いたこともある。「敵機だとほかの生徒にも分かるようにということだ」。その機から放たれた弾丸は友人の父親を貫いた。「惨めだった。こんなことが現実にあるのかと」
 終戦後、市内の酒屋に住み込みで働き、卸問屋にも勤めた後、酒販売店を営んだ。落ち着いて絵筆を握ったのは店を畳んでから。「ずっと勉強とは遠いところで生きてきた。せめて好きな絵だけは学んでみたかった」。絵画教室に通い、仲間と表現を楽しんだ。
 最近は絵を休止しているものの「好きなものを描ける現代は天国のようだ」と語る。一方でロシアによるウクライナ侵攻に触れ「命を何とも思わない。独裁者はいつの世も出てきてしまう」と嘆く。作品とともに、少年時代のつらい思い出をつづった文書も会場に置いた伊藤さん。絵を楽しめる時代が続くことを願う。
 油彩画展は20日まで。17日は休み。

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