人口53人 豊饒の海と生きる 沼津市井田地区【わたしの街から】

 沼津市街地から南へ車を走らせる。くねくねとした海岸線を抜け小高い山を越えると、海水浴場や春の菜の花畑で知られる井田地区にたどり着く。かつては海水浴客向けの民宿が多く営業してにぎわったが、今は人口53人(9月1日現在)、約7割が高齢者だ。それでも塩作りやダイビングなど地元の恵みを生かし、何とか地域を存続させようと奮闘する人たちがいる。

炊きあげた塩をすくう弓削美幸さん。釜に火を入れ続け約15時間たく(東部総局・山川侑哉)
炊きあげた塩をすくう弓削美幸さん。釜に火を入れ続け約15時間たく(東部総局・山川侑哉)
透明度が高く「井田ブルー」として全国のダイバーに知られる海(東部総局・山川侑哉)
透明度が高く「井田ブルー」として全国のダイバーに知られる海(東部総局・山川侑哉)
炊きあげた塩をすくう弓削美幸さん。釜に火を入れ続け約15時間たく(東部総局・山川侑哉)
透明度が高く「井田ブルー」として全国のダイバーに知られる海(東部総局・山川侑哉)


1500年前に詠まれた塩 父から娘、そして次代へ

 井田で生まれ育った弓削美幸さん(54)が、父親の奥田三樹夫さんから塩作りを本格的に引き継いだのは約5年前。三樹夫さんは2005年ごろ、安康天皇が1500年前に井田の塩を詠んだとされる歌が近所の家に伝わっていたことを知り、塩作りを始めた。「井田塩」の復活で地域再生をとの思いからだった。
 三樹夫さんは18年に亡くなったが、美幸さんは「ここでしかつくれない商品を作りたい」と、夫豊さん(66)と2人で息子たちの助けも借りながら塩作りに取り組む。美幸さんの塩は豊かなうまみが特徴で、都内の人気すし店や高級料理店が信頼を寄せる。「駿河湾の海水のおかげ。ちゃんとやってきたからみんなが認めてくれた。地域や家族に感謝」と受け止める。
 米作りにも取り組み、新型コロナウイルス禍の前は稲刈りの体験会などを開いていた。若者が戻ってこられる環境づくりに意欲を見せ「井田の自然の豊かさを体験してほしい。実家に帰ってきたと思える場所にできたら」と笑顔を見せる。
 井田の海も、多くの人を引き付ける。透明度が高く「井田ブルー」の名で全国のダイバーに知られる。地域に四つあるダイビングショップの一つを経営する地元出身の天野喜一朗さん(53)は「潮通しが良く、魚影が濃い」とその魅力を語る。天野さんは住民でつくる村おこし委員会でも花木の植栽で地元を盛り上げようと活動している。「歴史と文化を守り後世にバトンタッチする」と力強い。




駿河湾の入り江 海から切り離されて…

 伊豆半島ジオパーク推進協議会によると、井田の集落がある地域はかつて駿河湾の入り江だった。海流で運ばれた岩や土砂が年月をかけて帯状にたまり、細長い岬「砂嘴(さし)」ができた。その砂嘴が少しずつ伸びたことや、海水面が低下したことで海と切り離された。
 駿河湾のすぐそばに位置する明神池は、雨水などがたまり淡水に変わった「海跡湖」。池の北側に位置する田の用水でもあり、人々の生活を支えている。
 豊かな自然の中で成り立つ井田の暮らしと産業。弓削美幸さんは「自然に助けられながら暮らしている」と恵みに感謝し、天野喜一朗さんは「豊饒(ほうじょう)の海という言葉がぴったり」と話した。

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