父の戦傷奉公杖 平和への支えに 浜松の男性保管、遺品に宿る記憶

 浜松市浜北区の岡本憲司さん(82)方に、アジア太平洋戦争で足などにけがを負った人に贈られる「戦傷奉公杖(せんしょうほうこうづえ)」が保管されている。持ち主は24年前に84歳で亡くなった父・佑一さん。岡本さんらはロシアによるウクライナ侵攻が続く中、戦争が人々にもたらす傷の重さにあらためて思いをはせる。

戦傷奉公杖を手にする岡本憲司さん。父の残したつえと「仲間は皆死んだ」との言葉を忘れられずにいる=9月中旬、浜松市浜北区
戦傷奉公杖を手にする岡本憲司さん。父の残したつえと「仲間は皆死んだ」との言葉を忘れられずにいる=9月中旬、浜松市浜北区


 つえは約90センチで、持ち手の部分はワシをかたどった金属製。当時の陸軍大臣・畑俊六の名で授与証書も付いている。長男一家と3世代で暮らす岡本さん。つえは自宅にあるのを知っていたものの触れることはしなかった。6年前に96歳で母のゆきゑさんが亡くなると、手に取るようになった。
 岡本さんや、つえとともに保存されていた資料によると、佑一さんは北方の戦闘で足の甲付近を撃ち抜かれた。浜北に戻ると農作業をして暮らした。戦争のことはあまり口にしなかったが、戦地について「小便が凍るほど寒い場所だった」と岡本さんに話していた。
 佑一さんは戦後も足のけがに悩まされた。岡本さんの妻よし江さん(80)は「義父が眠れないほどの痛みだというので、若いときには何回か車を運転して病院に連れて行った」と振り返る。
 岡本さんは父親の「負傷したからこそ生きて帰れた。仲間は皆死んだ」との言葉が忘れられない。ただ、77年前に終わった太平洋戦争については「年とともにみんなが忘れていく。体験者も減る」と首を振る。よし江さんは、ロシアによるウクライナ侵攻でいまなお戦傷者が出ている現状を嘆く。「つえはいま、平和の尊さを訴えているように感じる」

 <メモ>戦傷奉公杖は主に、アジア太平洋戦争中に下肢に傷害を負った戦傷病者に贈られた。戦傷病者の歴史を伝える「しょうけい館」(東京都千代田区)によると、贈られた背景にはつえを突いて街などを歩く際に「戦争で負傷した」と通行人に分かるように示す狙いもあったという。公文書が残されていないため、贈られた本数などは把握されていないが、半戸文学芸員は「つえがないと歩けない状況の人に贈られたという意味では一定数あるのでは」とみる。戦傷奉公杖は同館でも保管していて、戦傷病者の遺品も引き取っている。

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