時論(1月15日)なぜ家康は駿府を選んだのか

 静岡市歴史博物館が駿府城公園の隣地に全面開館した。記念展は「徳川家康と駿府」。当然のテーマだろう。これを新たな出発点にしたい。家康が大御所として駿府を選んだ理由は幼少期を過ごしたことなど五つあり、その一つが「米の風味他国にまされり」と天保年間の地誌「駿国雑志」にある。
 子どもたちに知ってほしい五つの理由だが、歴史博物館の展示にはない。家康没後200年以上たってからの書物で確証がなく、言い伝えまたは創作の可能性もあるとのこと。展示にはなくても、学芸員が丁寧に解説してくれた。これが博物館の良さなのだろう。子供たちには駿府が選ばれた理由を考え、話し合い、誇りを持ってほしい。
 スタートした大河ドラマ「どうする家康」は「大高城兵糧入れ」から始まった。今川義元が織田信長に討たれ、歴史の転換点となった桶狭間の戦いの際、家康(松平元康)は今川方の最前線への補給を担った。桶狭間に行かず命拾いしたと言われるが、ドラマ初回はそうは描かなかった。軍事物資としての米の重要性がよく伝わってきた。
 農学者でふじのくに地球環境史ミュージアム館長の佐藤洋一郎さんは、米は国造りの礎として、軍事物資として、貨幣として、何より稲魂[いなだま]が宿るものとして、日本の社会を支えてきたと説く(中公新書「米の日本史」)。
 ウクライナ危機で食料安全保障の注目度が高まり、政府は昨年末、食料安保強化に向けた政策大綱をまとめた。
 今年は弥生時代の水田跡が日本で初めて確認された登呂遺跡(静岡市駿河区)発見80年。そして「和食」のユネスコ無形文化遺産登録から10年。米と米食の文化、稲作と稲作文化について考えるよう促されている気がする。

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